A 00.9.1(金)(3A オマハ−コロラドスプリングス戦観戦)

翌日、時差ぼけも無く朝8時に起きました。15時くらいまでに空港に行けば良いので、行動予定に迷いましたが、球場ツアーに参加してその後はCNNセンターでブレーブスとホークス(NBA)グッズを漁ることにしました。球場ツアーは7ドルしましたが、ブレーブスファンなら行って損はないでしょう。またその一部でブレーブス博物館に入れるのですが、そこでは91年のプレーオフ第7戦で逆転サヨナラタイムリーを打ったキャブレラ(元青波)のバットが「祭り挙げられて」いました。その他キャブレラのユニフォーム、タラスコ(阪神)のユニフォームもありました。その後はホテルに戻ってタクシーを呼びましたがなっかなか来ず、仕方なく雨の中大きな荷物を持って96五輪の聖火台の前のバス停まで歩きました。前日でも傘の話をしましたが、この歩きはなかなか苦労しましたよ。

アトランタからオマハに飛び、バスディーポで荷物を預けてその夜のデンバー行きのチケットを買った後、タクシーで球場に向かいました。チケット売り場で一番高いオマハ側の席をというと、おばちゃんはどういうわけか苦笑いしながら売ってくれました。中に入って席を捜すと、ベンチ脇の席でネットもありませんでした。周りは、日本と同じように地元企業が購入しているみたいで企業名が席に貼ってありましたが、私の席も含めて半分くらいの席はそれがはがれていました。オマハは景気が悪いのでしょうか・・・。

グランドに目をやると、ライトに人影が。良く見ると背番号3D.Jじゃないですか。私は、サインをもらおうと思ったのですが、あいにく書くものが何もなく(水性ペンはあった)、急いで売店にペンを買いに走りスタンドに戻ったのですが…D.Jはもういませんでした。
仕方ないのでオマハ側(3塁側)の内外野の境目くらいに陣取り、D.Jが再度出てくるところを狙おうと思いました。しかし、なっかなか出てきません。他の選手はボツボツ出てきて、サインをしたりしていましたが、私は他の選手にもらっても仕方ないので、それを呆然と眺めていただけでした。
そのうちD.Jがベンチに出てきました。彼は、まずバットをバットケースに置きに行ったのですが、何とそこでサインをしておる!しかもそこは本来の私の席の近く。急いで席に戻ろうとしましたが、逆にD.Jはアッという間にアップに入ってしまい外野に行ってしまいました。その後彼は、外野で入念にダッシュ(日本で見たことあんまりなかった)を繰り返し、国歌斉唱が終わってからも素振りを繰り返し、本当に怪我をしているのか疑わしいくらいの軽快な体の動きでした。因みに私もそんな意外な彼の動きを注目していたせいか、スタメン発表を聞き逃していました。彼は試合開始1分前にアップを終え、ベンチに戻って行きました。声はかけましたがさすがにサインくれとも言えませんでした。

試合が始まるので席に戻って守備位置に付く選手を見てると、何と背番号3がライトに向かっていくではないですか。D.Jはこの前の試合まで数試合殆ど出場していませんでしたが、今日は堂々のスタメンライトでの出場となり、非常にめでたい限りです。
試合の方では、5番に入ったD.Jは4打数ノーヒット、守備でもエラーの他にもまずい守備(スライディングして球を後ろに反らした)で点を取られるなど良いところなしでした。最終回も打席が回ることなく、オマハの負けに終わってしまいました。因みに相手の4番は元阪神のフィル・ハイアットで、この試合では不発だったもののシーズン終了後にホームラン王に輝きました。あと、9回表終了後にオマハの捕手から試合球(三振でスリーアウトになった球)をもらい、運が向いてきたかとちょっとばかり思いました。

さてせっかくここまで来たので、D.Jに声くらいかけてあげようと厚かましくも思った私は、試合終了後、イチかバチかバットケースのところでD.Jを待つという作戦を考えました。彼の行動からすると、私の席の目の前にあるバットケースには絶対寄るはずだし、金網もないので非常に声をかけ易いと判断したからです。
当のD.Jは、試合終了後はしばらくベンチでボーッとしていました。あんまりいい結果が出せなかったので、考え事でもしてたのか、という感じなのですが、しばらくすると、D.Jはバットを取りにこっちに向かってきました。私は、意を決して声をかけました。「D.J!」。彼は、にっこり笑ってこっちに来てくれました。そして、「どこから来たのですか?」と日本語で私に聞くので、私は「I come from Kobe.」と(半分くらい)うそをいいました。その後、持ってきた日本のカードとペンを差し出すと、同僚の選手にカードを見せながらサインをしてくれました。そしてどういうわけか彼の方から「がんばってください」などと日本語でいわれ、私も同じ言葉を日本語で返しました。その後デジカメで写真をとらせてもらったのですが、ちょうど試合後の花火が始まってあたりが暗くなったので、うまくとれませんでした。最後に、なぜか彼は私の名前を聞いてきたので答えましたが何かあるのでしょうか。

私は、大きな満足感を胸にバスターミナルに戻り、夜行バスでデンバーに向かいました。とにもかくにも来年もどこかで頑張れ! D.J!

ここに当日のスコアが載っています(いつまであるかわかりませんが)
オマハのホームページで探してください。

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