西日本横断 2軍観戦ツアー(2004.4.30-5.3 鹿児島→神戸)


(−1) 4月29日(木) 西武対日本ハム(飯能)
 実は連休が始まった29日は、埼玉県の飯能まで出かけ、2軍戦を見ていた。飯能といってすぐに反応はできない人も多いだろうが、西武ドームに行くときに良く乗る「飯能行き急行」の飯能である。つまり、所沢より遠いのである。しかも、そこに車で行ったわけだが、高速道路ではかなり大回りである。また、帰りには事故に巻き込まれ、正直大変疲れた。本格的に旅行に行く前に旅をしたようなものだ。しかし試合は両軍あわせて33三振という壮絶な試合(多分記録だろう)、ハムも勝った。


(0) 4月30日(金) 移動
 夜17時半の終業と同時に会社を飛び出し、スーツから普段着に着替えたあとスーツを洗濯屋に出し、羽田に向かった。途中、乗り換えの品川駅で特急はやぶさ号を見かけたが、あちらはこっちが鹿児島に着き温泉につかり一杯飲んで寝て起きて新幹線で熊本に着くころ、ようやく九州上陸というところである。確かに魅力的な乗り物ではあるが、値段も含めて比較にならない。
と いうわけで品川駅で崎陽軒のシユウマイ弁当を買い、羽田に着いてガツガツ食っているともう搭乗時刻となっており、飛行機に乗ってみると機内のNHKラジオでベイ対竜の試合を聞いているうちに鹿児島に到着してしまい、鹿児島空港では最終便ということもあり、バス乗り場は結構混雑していたが、バスにのってみれば1時間ほどで市内の宿に到着してしまった。というわけで、さっきまで仕事をしていたのに、気が付けば鹿児島にいるのが不思議である。

 今日の宿はサンロイヤルホテルである。理由は、大浴場があることもあるが、マリーンズがキャンプで泊まっているからである。さもなくば、滞在7〜8時間なのに9千円も払うわけがない。そんな、初芝気分の中でまずは階上の大浴場で一服。しかしながら夜なので、眼下に広がるはずの桜島は見えるはずもなく、単なる入浴で終了。しかも腹が減ってきたので、ホテル前のモスバーガーで数品購入し、ビールを飲みながら就寝するという、鹿児島の夜はサラリーマンチックに更けていってしまった。
と ころでなぜ鹿児島なのか、ということであるが、意味はない。単にANAの超割の予約において、30日の仕事を終えてから乗れる便が、鹿児島行きしか取れなかったからだけである。


(1) 5月1日(土) 福岡ダイエー対サーパス神戸(島原)
 翌朝はいつものとおり日の出とともに目覚める。東京に比べて、1時間程度は遅い(東京は5時で明るいが、鹿児島は真っ暗)気がする。そして6時の大浴場オープンと同時に朝風呂に乱入する。同じ事を考えている人が数多くいて結構混雑していたが、やや曇り空の中ではあるが桜島を満喫する。やはり、鹿児島=桜島しかあり得ない。すごい。でかい。ところで全然関係ないが、鹿児島に球団ができた暁には、その応援歌の最初のフレーズに桜島が出ることは間違いない。何せ、日本三大ガッ○リの一つである時○台が、本年某パリーグ球団の応援歌の冒頭に出てくるのだから。

 入浴後慌しく身支度を整えホテルを出る。新幹線の時刻まではまだ余裕があるのだが、近いし、せっかくなのでマリーンズがキャンプを行う県営鴨池球場まで行ってみる。
ここに来るのは14年ぶりだ。前回は、ロッテ・近鉄・オリックスの3球団のキャンプを回ったのであるが、当時背番号45だった若手選手が、「今日もがんばります」とマイクで挨拶をしたことを覚えている。その選手は、昨年自己最高成績を挙げた堀幸一である。幸一をはじめ、初芝、幸彦などもまだ残っており、ルーキーであった小宮山も戻ってきたが、当時はオリオンズであり、監督はカネヤンであったことには時代を感じずにはいられない。

 球場を後にして路面電車に乗車する。鹿児島の路面電車は、道の真中にポールが立つという、あちこちの町で美観対策で実施されている方法である。たまに、鹿児島の姉妹都市であるパースやナポリといった町の名を関した電車が走っているが、私が乗ろうとしたのは「鶴岡」。まさか、鹿児島出身であるハムの鶴岡(捕手)の電車ではないだろうな、と思ったが、どうやら山形県の鶴岡市と「兄弟都市」であるらしい。良く分からん。

 路面電車で鹿児島中央駅に到着する。ここはかつて、というか今年の3月までは「西鹿児島」と名乗っており、諸々の列車の終着駅として鹿児島駅より知名度のあった駅である。今般、新幹線の開通により、「鹿児島中央」と変わることとなり、名実共に中心駅となった感がある。新幹線は、在来線に対してほぼ垂直に線路が伸びている。その、新規開店直後の新幹線「つばめ」で新八代に行き、乗り換えて熊本まで行く。時間にすれば1時間半程度。例えば名古屋から東京まで、のぞみで1時間半程度だと、早いと感じるが、鹿児島と熊本がどのくらいの距離感か、いままでどうだったのか全く分からないし、正直早いのかどうか、ぴんとこない。但し、新幹線のおかげで、鹿児島に泊まっていても昼前に島原に行けるということだけは事実である。

 熊本は本格的に訪れたことがない町なので、ゆっくりしたかったが、ここから船で島原に渡らねばならないので、後ろ髪引かれる思いで町を後にする。
熊本港から島原港までは1時間。神戸と違い、東京にいると船に乗ってどこかに行くという習慣がないので、船に乗るとワクワクするのだが、突然眠気が襲ってきてダウン、あっと言う間に島原港に到着した。

 今日は島原で24年ぶりにプロ野球の試合が行われる日である。そんな記念すべき日に、私のようなオタクがノコノコと東京から来てもいいものだろうか。いいのだ。それはともかく、港から球場までは、かなり距離があるのだ。バスはないし、タクシーに乗るか、歩くか、どうしようかと迷っていると、案内所にレンタサイクルを発見した。1時間150円。タクシーより安そうだったので、利用することに決める。出てきたのはママチャリ。しかも、球場までは上り坂。途中までは何とか漕ぐことができたものの、日ごろの運動不足によりあえなく自転車を降りることとなってしまった。

 島原球場は、かつて西鉄ライオンズがキャンプを張ったところ。正面にも、その記念碑が建っていた。中は典型的な地方球場。スコアボードはスコアしかないし、外野は芝がはげているし、座席はコンクリートに雑草が生えている。しかし、24年ぶりのプロ野球ということで、場内はそこそこ(満員ではない)の客でにぎわっている。
 今日のカードは我らがサーパス神戸対福岡ダイエー。小林とナイトという、一軍実績のある投手の先発で始まったが、両者テンポが悪くかなり時間がかかる正直だれた試合。しかし、途中から出場したサーパスの塩屋が、そのダレダレ感を吹き飛ばしてくれた!同点の口火を切る四球と盗塁を決め、次の打席ではなんとプロ入り初となる2ランホームラン。ヒデジ監督やヤスオコーチも大喜びで彼を称えていた。今年から野手に転向したらしい塩屋ではあったが、ナゴヤの教育リーグでもいいあたりを飛ばしており、今後に期待したい。またホークスでもトップバッターのルーキー明石がきびきびとした動きを見せていたが、翌日から彼は一軍昇格(更に初打席でいきなり三塁打)。因みに山梨学院大付属高校出身だが、生まれは北海道らしい。名前は兵庫県だが。あとサーパスネタとしては、けん制でさされた早川が大激怒。ベンチに下がってからも怒声やモノを叩き潰す音が丸聞こえ。これも地方球場の良さだろう(北神戸でも聞こえるが)。結局塩屋の活躍もあったサーパスが8連敗を脱出する勝利を収めたのであった。
 試合後は出待ちもソコソコに港に戻る。今度は下り坂であるが、ハム高橋憲幸が自転車で転んで今季絶望というニュースを聞いていたので、慎重に下りる。というか、年のせいか、自転車で飛ばすのはもう怖い。
 
 島原の駅からは島原鉄道に乗り、諫早に向かう。実は島原にはいわゆる卒業旅行で来たことがあるらしい。らしいというのはあんまり記憶がなく、あるといえば普賢岳の噴火直後で島原鉄道が不通になっており、灰で埋まった家々や田畑等々の風景をバスで見たことくらいである。今回も、列車に乗るとあっという間に寝てしまい、島原の記憶は野球だけになってしまった。
 諫早から特急かもめで博多に向かい、長い一日が終わった。


(2) 5月2日(日) 讀賣対西武(北九州)
 福岡の朝は遅かったが、10時前には博多駅へ。因みにテレビを見ていると、ヨドバシカメラのCMにホークスの川崎が出てた。関東では、ヨドバシカメラ川崎店の宣伝をしている川崎であるが、地元福岡では、ヨドバシカメラポイントカードの宣伝をしている。

 それはともかく今日は北九州市民球場でイースタンの読売対西武の観戦である。読売は、毎年GWに九州地区で試合を行っており、今年は1〜5日で山口県西京、北九州、久留米、大分、長崎と回る。久留米→大分→長崎という順番は違和感があるが、相手をしなければならない西武も大変である。

 さて試合開始は13時なので、まだ時間がある。そこで小倉を通り越して門司港まで行く。ここは、昔ながらの終着駅ということで、町全体が「レトロ」として売り出している。私は、意味はないが近くにある「九州鉄道博物館」に行ってみることにした。博物館そのものは、昔の電車等が展示されており、まあソコソコ楽しめたわけだが、驚いたのは、私が入館するのと入れかわりに出てきた小学生低学年くらいの子供2名が、阪急H帽を被っていたことである。あれは、ウェルチのCMで登場する、もしかしたら阪急帽というものではなく、正真正銘のものである。何なんだろう。北九州で阪急といえば、マツであるし、田島もいる。彼らの親戚なのだろうか?因みに両者らしき人はそばにはいなかった(田島がいても分からんが)。驚きを感じつつ門司港を離れ、小倉競馬場で馬券を買ってから球場に乗り込む。

 二軍とはいえさすがに読売戦であり、客はソコソコ入っている。しかし、歓声が起こるのは4番に入っていた元木の打席くらいで、たとえば3番の斉藤とか、先発投手の真田など、そこそこ1軍でも試合に出ていた選手でも、そんなに大きな歓声は沸かなかった。FDH帽を被っていた子供もいたし、このあたりではすでにホークスなのか?
試合は、真田が打たれる一方で、西武先発の後藤はらしい投球で7回2失点。去年2桁勝ってるピッチャーでっせ。知ってる?あとは椎木の2安打、カツノリの見逃し三振、元木の技ありのライトへの一発くらいで淡々と終了した。出待ちで今年から読売コーチに就任した藤田浩雅氏の姿を確認して安心し、同じく読売ヘッドコーチに就任した山本功児氏の読売ユニフォーム姿に違和感を覚えた。同じ頃、天皇賞を外したことが判明し、勝ったイングランディーレが1面であったスポニチを握り締めて呆然とたたずんでしまった。

 試合後は早々に宿に引き上げる。今日は街中には珍しい旅館に宿泊(とはいえ私の部屋は洋間)。近くの飲み屋で一杯飲み、読売戦を見ながらまた一杯。明日は雨予報なので、小倉から船で神戸に帰るという選択肢もあったが、わざわざ泊まった目的は、福岡ローカルでかつ今井雄太郎師匠が司会をされる「ナイトシャッフル」を見るためである。情報番組で、マナカナが博多を訪問していたり、出演者(雄太郎師匠ではない)が北海道に行き札幌ドームで新庄に手を振るという、どこの国の番組か良く分からない内容ではあったが、雄太郎師匠の健在ぶりが確認できたので安心して眠りにつく。


(3) 5月3日(月) 広島対福岡ダイエー(由宇)
 翌朝起きてみると雨は降っておらず、晴れ間もさすような状況である。今日は、由宇まで戻ってウエスタンリーグの観戦予定である。
 まずは小倉から鈍行で東へと向かう。このあたりも高校生の時以来久々である。途中、時間の関係で1駅だけ新幹線に乗り、徳山で下車する。今日徳山では、社会人野球のトーナメントが開催されているので、少しだけ見に行こうという魂胆である。
 徳山は、知らない間に「周南市」になっていた。従って、かつての徳山球場も「周南市野球場」であるらしい。そういえば小郡も「新山口」になってた。よく分からない。その周南市野球場では、毎年GWにトーナメントが開催されており、中四国のチームの企業チーム・クラブチームが中心に参加しているのである。雨は上がっており、防府クラブ対鯉城クラブの試合が行われていた。時間の都合でわずか10分程度いただけで引き返してきたのが残念。よって感想もない。

 徳山から鈍行で由宇に向かう。このあたりは海沿いを走るのであるが、天気もよくなってきており、わずかではあるが由宇での試合開催に期待が持てる状況ではあった。
 由宇駅からはバスに乗車。客は私を含めて2名で、野球客は私のみで非常に不安である。しかも、バスはすれ違いもままならない狭い道を走り、温泉を抜けていくのである。更に山深くなるにつれ、雨が強く降ってきており、不安感倍増。そして30分くらいで終点に到着。だがしかし、球場の門の前には無情にも「雨天中止」の文字が・・・。しゃーない。
 しかしここは相当の場所である。アジスタどころの騒ぎではない。なぜここに球場というか練習場を作ったのか、理解に苦しむところである。合宿所でもあればまだわかるが・・・。はっきりいって、地元客を除けば見るほうも相当の覚悟が必要である。そうそうは来れないよ。
 というわけなので、帰りのバスまで1時間弱あるので、球場内を1周したり、諸々の施設を見たり、周辺を散歩したりして時間をつぶした。しかし強風のせいで傘が折れてしまい、残り30分程度で何もできなくなってしまった。ああ。

 由宇からは広島まで鈍行で行き、新幹線であっという間に神戸に向かった。当日を含めて5日まで神戸にいたのでまだ野球をみるチャンスはあったが、天気も良くなく、気力も良くなく、結局実家でのんびり過ごした。

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