沖縄キャンプツアー(2005.2.5-6 久米島→東風平→名護)

(前振り) 
 沖縄である。
 まだ阪急ブレーブスがあってオリックスはなかった昭和63年春、大学を受験しに東京に来たついでに北海道に行った時点で、行ったことのない都道府県があと1つとなっていたのだが、どういうわけかその状態が17年間続いてしまっていた。そのマジック1というのが、沖縄県であった。別に意識して避けていたわけではないが、行く機会がなかった。
 とそこへ沸いてきたのが、東北楽天ゴールデンイーグルスである。昨年11月の拡張ドラフトやその後の選手獲得発表によってイーグルスのメンバーが明らかになり、キャンプ地が久米島に決まると、俄然行きたくなった。また、常日頃応援しているハム2軍も当然沖縄でのキャンプであることから、これらを見るツアーを画策したわけである。ダルビッシュがハム2軍キャンプにいることが誤算(別に嫌いではなく、人が多くなってしまうのが嫌なだけ)だったが、何はともあれ、2005年2月4日に那覇空港に降り立った瞬間、日本の全都道府県制覇が達成されたのであった。


(1)イーグルス久米島キャンプ(05.2.5)

悲願達成から一夜明け、那覇空港から久米島に向かう。さすがに奥尻のような十何人乗りではなく、百何人乗り飛行機であった。席に乗り込んで新聞を読んでいると、どこかで見たことのある男が隣の隣に座ってきた。ハム贔屓で有名なタレントの伊集院光氏である。どうやら出演しているテレビ東京の番組の取材のようだ。私は、彼を以前朝早く羽田で見かけたことがあり、そのときはえらい不機嫌そうであったので、朝は弱いのだろうと判断し特に声はかけなかった。また、機内は空いていたので、マネージャーらしき人が気を利かせて後ろの列に移り、彼は2席分を使うことができたのであった。あと今年から調査担当になった西武潮崎氏も同乗していた。


飛行機は40分くらいで久米島に到着し、レンタカーを借りて球場に向かう。空港と球場は島の端と端なのだが、大きい島ではないので、30分もかからずに着いてしまった。
選手はホテルから自転車や徒歩で三々五々球場にやってきている。自分でもたいしたものだと思ったのは、ほとんどの選手の顔がわかるということである。確かにこのチームはベテランというか長い間野球をやっている選手が多く、中堅若手が近鉄とサーパスという、比較的?自分が応援している球団の出身なので、それもなるほど分からなくはない。一方で、背番号と選手が一致しなかった。28番が誰か分からず、顔を見て金田と確認しているような状況であり、メンバー表を見つけるまでは少々苦労させられた。また、少年野球選手たちもプロ選手の球場入りを待っていたが、本州の「ボールちょうだい」馬鹿とは違って全くすれてないこどもたちで、選手に「おはようざいます」とちゃんと挨拶をしている。また選手も「おはようございます」と挨拶をしている。いい光景だ。私を取材陣と間違えたのか、森谷は自分から挨拶してきたぞ。


まずはお隣のオーナーゾッコンの佐竹を探すこととする。練習を開始しようと球場のレフト周辺に三々五々集まっている選手の中に彼を見つけた。しかし、他の選は数人で集まって談笑をしているにもかかわらず、フェンス際に一人ぽつんといる。そしておもむろにフェンスに向かってストレッチを開始していると、少年野球選手が寄っていった。佐竹は、「キミたちは誰を応援しに来たの?岩隈か?」と少年に聞くが、彼らは黙ったまま、それだけで会話が終わってしまった。慣れた子だと「佐竹選手!」という答えも期待できようが、全くすれてない少年たちなのでそれもなく、佐竹も会話をつなげようという性格でもなさそうなので、それもやむなしか。ここで「こういうときは佐竹選手と言え!」という指導をしてしまうと、見知らぬおっさんに変なことを言われたと必要以上に警戒されそうな雰囲気もあり、佐竹もそれで笑ってくれそうもないので、やめておいた。


次に打撃練習場(いわゆる鳥かご)に向かってみる。多くの選手がまだ準備運動をしている時間なのに数人の選手がガンガン打っている。よく見ると一番手前にいるのは小島だ。小島といえば打撃はいいものを持っているが守備は普通のフライでも取れるかどうかというくらいで、サーパスでも試合後に山森コーチやヨネマーに良く怒られていた二年目の選手だ。しかしいつも一番最後まで練習をしている(させられている感もなきにしもあらずだが)選手でもある。あと人一倍鋭い打球を打つ左打者がいたので誰かと思ったら竜太郎であった。佐竹も含め、サーパス出身選手が健在で何よりである。


しかしまあ選手の顔ぶれがすごいというかなんと言うか。例えば、投手陣のキャッチボールを一緒にやっていたのが「吉田豊彦紀藤戸叶河本有銘ホッジス」、あるときの内野守備練習が「一塁佐竹山下・二塁高須大島・遊撃斉藤前田」とか、シートノックの外野陣形が「中堅飯田関川平石(新人)森谷」とか、1年前には到底思いもつかなかった選手たちが一緒にやっているということに、ある種の驚きを覚えざるを得ない。


さて一応阪急ネタも振っておきたい。GMのマーティ・キーナート氏である。練習開始直後には、外国人選手や首脳陣と話をしていたのを見かけたがその後姿が見えなくなってしまった。何とか声くらいかけたいなと思っていると取材陣から「GMは楽天のキャンプ応援ツアーの出迎えに自ら歓迎ボードを持って空港に向かったらしい」という話が聞こえてきた。そんなんGMの仕事と違うやろ?森本さんに怒られるぞ!といいつつその代わりとなると三木谷オーナーくらいしか思いつかんのも事実。


練習そのものは特に目新しいものはないので、個別選手その他で気づいたところをいくつか。
1.塩川、6西谷他・・・新人である彼らは一番早くに来て一番遅くに帰っている。彼らのうち何人が開幕一軍に残れるか、注目である。
3.吉岡・・・練習の合間でも唯一列がなくなるまでサインをし続けていた。相変わらずの性格の良さ。復活を期待せずにはいられない。
8.礒部・・・練習でも他の選手への声がけなどを良くしており、想像以上にチームでの影響力が強そうだ。
13.大島・・・ベテランでありながら遅くまで特打。左右打ちで練習時間が多いと思われることを差し引いても、彼より早く帰っているような選手は先はないかな。
26.有銘、43徳元・・・沖縄出身であるため、人気が高い。野球に無縁そうな地元のおばちゃんにも名前を知っている人がいた。
34.小池・・・球場入りする際、ヘッドホンで何かを聞きながら静かに歩いている姿にただらなぬ雰囲気があった(でもサインはくれた)。
38.山下・・・近鉄カードを見せると「まだこんなカードあったんですねぇ」と感心された。一昨年のカードなんだが・・・。
選手のぼり・・・球場前に各選手ののぼりが建てられていたが、礒部が「礒辺」になっていた。礒はたまに磯に間違われるが、部は間違わんぞ普通。あと打撃投手の分もあり、谷崎浩二ののぼりに感涙
伊集院光・・・当日のテレビ番組用にかつて共演していた駒田コーチと会話。後ろで聞いていたが話をうまくまとめるところはさすが。空き時間もファンと気さくにふれあっていた。


練習が一通り済んだ後は出待ちである。選手は徒歩か自転車で宿に帰っていくのだが、その途中でサイン会場みたいな場所を作り選手をそこに立ち寄らせて何人か並べてサインをさせるという方法が取られた。因みに久米島の人たちはサインをカードにしてもらうという概念がないようで(そもそも野球カードが久米島内で売られていない気もするし、加えて楽天としてのカードは雑誌の付録での一場のカード以外にはまだなかった)、1枚の色紙に多数の選手のサインをもらうのが主流であって、カードにサインをもらおうとしていたのは私くらいであった。しかも、サインをもらう列の中は子供比率が高く、「一枚の色紙に不特定の多数の選手のサインをもらおうとする子供たち」の中で「ある特定選手のカード(しかもマニアックなものもあり)にサインをもらおうとするおっさん」は大変浮いてるような状態であった。よって、私はサイン会場の列には並ばず、それが終わったときに個別につかまえてサインをもらう方法を取ることとし、それで何人かの選手のサインをもらうことができた。


そしてサイン会会場に新人の一場がやってきた。一場は岩隈・礒部・田尾監督と並ぶ数少ない個別に認識されている選手であるので、サイン会場の列がすぐにそこそこの長さになった。次に小島がやってきて、その次には田尾監督もやってきた。というわけで、一時は「田尾・一場・小島(とその前からいた高橋浩司(サーパス出身)」のサイン会という不思議な状態となった。恐らく、その3人(田尾・一場・小島)の中で誰か1人のだけサインをもらえるという話になれば、田尾49.5、一場49.5、小島1でその1が私であろう。結局私は小島だけにサインをもらった。そのときに「一場よりも小島に頑張って欲しいんや」とでも言えればカッコ良かったが、それは言うのはやめた。鎌ヶ谷に来たときにはしっかり応援したい。山森さんも応援に来るかもしれんし。


結局17時頃に球場を後にし、一応野球だけではないというところを示す(誰にかは不明)ため、比屋定バンタという展望台に行き景色を写真に収めてから空港まで戻った。帰りの飛行機には、どこに潜んでいたのか古葉元カープ監督とまたしても潮崎氏がいた。潮崎氏は、機内で日刊スポーツを熟読していた。

実は最大のネタかもしれないのが那覇に戻ったホテルのエレベーターで、元ロッテ水上善雄氏と一緒になったことである。明日のハムキャンプでは潮崎・水上氏とまた会ってしまうかもしれない。


(2)ファイターズ沖縄キャンプ(05.2.6)

最近仕事が忙しく、家にも寝るためだけに帰っているような状態であるが、旅に出るとやはり早起きになる。いつもと同じように6時に目が覚め、風呂に入って飯を食い、8時過ぎには宿を出発した。旅に出たときくらい、もっとゆっくりすればという意見もあるが、旅に出たからこそ、ゆっくりできないのである。このあたりは貧乏性が抜けきれない。
さて今日の目的はハム2・1軍キャンプである。一軍は名護で、ここから1時間半くらいかかる。二軍は東風平(こちんだ)というところで、ここから30分くらいである。諸々検討した結果、先に東風平に行くことにした。


ところで金曜日に空港からホテルまで、モノレールに乗ったのだが、ぼーっと窓の外を見ていたとき、その視線の先にあったあるバスの行き先が「石嶺」というものだったのが非常に気になっていた。阪急ファンならば、やはり沖縄といえば石嶺である。というわけで、キャンプに行く前に、この近くにある、彼の母校である豊見城高校を訪れることにした。昨年夏にも旭川に行った際、旭山動物園にも行かず星野(伸之)の母校である旭川工業高校に行ったことがあるが、結局北海道であろうが沖縄であろうが、やっていることは不変である。
豊見城高校では、朝9時前なのに野球部が熱心に練習をしていた。レフト方向に石嶺の銅像とかあるかと思ったがそれはなかった。また、長方形のグラウンドの長い縦方向が三塁線であるというのは、レフトに飛ばしまくっていた石嶺の影響だろうと思ったのは、たぶん私だけだろう。パッと見た感じ特に面白そうなものもなく、何かネタを探しに校内に入っていくと変態扱いされそうなので早々に撤収した。


東風平には9時半頃着いた。今年は、ダルビッシュ目当ての客で前年比20倍の観衆だそうだが、朝いちだと客もまばら。それでも20人くらいのファンと、20人くらいの報道陣が入り待ちをしていた。
私は、二軍のホームである鎌ヶ谷まで車で15分というところに住む身であり、暇になれば試合であろうが練習であろうが鎌ヶ谷に見に行っているので、新人以外は、昨日の楽天のような目新しさもワクワク感もない。とはいえ、今日は目新しい中でも最大の目玉といえるダルビッシュを見に来たのではない。私の目的は今年からコーチに就任された佐藤義則と福良淳一の両阪急OBである。
まず福良コーチ。今日は、ビジターのユニフォームで登場であるが、ただでさえ地味なのにますます地味に見える。さっそくキャッチボールの時点で一人の選手を捕まえ、スローイングの個別指導。とてもうらやましいぞ、市川!
一方サブグラウンドでは、佐藤コーチが現役時代さながらのフォームでキャッチボールをしていた。こちらも個別指導か、そんなうらやましい選手は誰かと思っていると、相手はコーチの厚澤であった。佐藤コーチは、肩が痛いといいながらも、もう少ししたらまだ投げられると相変わらずの強気発言。
とりあえず両コーチのユニフォーム姿を確認したら、あとはいつでも見ることができるので、今年のファーム日本一を祈念して、名護に向かうこととした。


名護に着いたのは昼過ぎですでに全体練習は終わっており、特に投手陣は全員ブルペンから引き上げていた。この日はファンが3500人集まったとのことだが、8割方はSHINJO目当てであり、一番の注目が中嶋であるというのは、私くらいであろう。

(中嶋聡選手)
約1/3くらいの選手が帰った中、ようやく鳥かごで打撃練習をしていたのを見つけた。それが終わって宿舎に戻るところでサインを頂戴したのだが、私の後ろにいたおばさんファンが「ナカジにサインもらおう!」と言って盛り上がっていた。
(田村コーチ)
高橋信二に捕球の指導をしていたが、信二が捕球する際にミットが微妙に動くのに対し、田村コーチのミットは微動だにせず。さすがである。
(光山英和氏)
GAORAのハム解説者として、初日よりずっと帯同。この日も田中幸雄と対談したあとは打撃投手も務め、ほとんどハムの一員。カードにサインもろたが、カードに一緒に映っているのが福良。
(関根打撃投手)
ちびっ子ファンは久米島同様誰にでもサインをもらおうとする。他の打撃投手は「僕は選手じゃないから」と断っていたが、昨年まで選手だった関根はサインをしていた。その後選手ホテルと逆方向に帰っていった彼の姿に、思わず応援せずにはいられなくなった。

(少年野球教室)
試合後は選手会主催の野球教室を開催。ノックのときはガッツ・木元・紺田・上田の4人がノッカーであったが、木元以外はみな右打ちでノックしていた。ちなみにガッツはノックがへたくそ。あと、三昔くらい前のファイターズユニフォーム(オレンジ)のデザインのチームがいた。
夕方まで少年野球教室を見た後、車で那覇に戻った。空港でソーキソバを食べて、短い旅が終わった。


初めての沖縄の感想であるが、まずは暖かい。ホテルについていきなり冷房をかけたくらいであり、この時期のキャンプとしてはやはり宮崎や高知に比べると気候面では圧倒的に有利であると思われる。あとは、車や建物などを、全般的に古くからあるものを長く使っているということ。本州では見られないような、バンパーの凹んだ車が平気で街を走っていたりしていたのがとても印象的であった。

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