ついに欧洲上陸! 世界野球ツアー伊太利亜編!(2008.8.22)

【前ふり】
今年の夏休みは、体力と時間があるうちにということで、夫婦ともども初めての欧州へ出かけることになった。具体的には、鉄道関連の充実度もあってスイスが中心である。

ところが、スイスへの航空券の購入については値段と日程の関係でいいのがみつからなかった。バンコクとか香港経由といったアジア系は、相対的に安いが、乗り換え時に1泊しなければならなくなるなどの制約もあり、時間もかなり要する。結局、諸々検討の結果、スイスにほど近いイタリアのミラノへの往復という形とした。

ここまでは、野球の「や」の字は一切なかったのだが、ある日、イタリアにはプロ野球が存在するということを思い出した。そこで、我々の行程に合う試合のスケジュールをということで調べてみると、何とミラノ到着日の夜に、セリエA2(2軍ではなくサッカーのJ2みたいなもの)の試合があるではないか!しかも試合開始は21時なので、なんとか間に合う(笑)!また、なぜか相方の知り合いの人が調べてくれて、球場へも地下鉄1本で行けるようである。

これは、ぜひ行かねば!

しかし、出発1か月くらい前に念のために調べてみると、その試合は2週間も早まって実施されてしまうことになったようなのである。どうも、試合の当事者同士の話し合いで決まったようであり、野球以外の本来の仕事を持っている選手が多いイタリアでは、よくあるケースであるらしい。さすが、イタリア!

とはいえ感心している場合ではなく、こうなると野球の試合を見なければどうしようもなくなってしまうのが野球バカの痛いところ。再度調べてみると、イタリアプロ野球最高峰の『セリエA』のプレーオフが、我々の帰国の前日にミラノから200キロほど離れたボローニャというところで開催されるということが分かった。プレーオフだと、たとえばスイープしてしまった場合には、残り試合は開催されないのが通常であるが、このプレーオフはなぜか1〜4位球団間のリーグ戦形式なので、不測の事態がなければ開催されそうだ、ということも理解した(もっとも、イタリアなのでこの『不測の事態』が一番怖いが)。また試合開始もやはり「21時」なので、当初考えていたスイスでの行程を大きく変えなくても済みそうである。

ここまで調べて出発。旅行期間中も、その『不測の事態』がないか、携帯片手にで恐る恐る確認していたのだが、特に変なニュースはみつからなかった。


【現地にて】

我々は8月22日20時過ぎ、スイスの山奥にあるハイジの里「マイエンフェルド」から、展望列車やバス、6人掛けコンパートメントの特急などを乗り継ぎ、12時間以上かけてイタリア・ボローニャ駅に到着したのである。

ボローニャ駅前のホテルに荷物を置き、通り1つ離れたバス停から11Bというバスに乗り込んだ。しかしこのバスは、車内アナウンスもなければ路線図もなく、我々は降りるバス停の名前こそ知っていたものの、運ちゃんに聞いてもきちんとした答えは返ってこなかった。しかもバスは、ボローニャの伝統的なアーケード街を10分ほどで抜けるとどっぷり日が暮れて暗い道をただひたすら進むのみ。我々は非常に心細くなってしまったが、だいたいこのあたりだろうと見当をつけて降りてみた停留所が、偶然にも我々が下りるはずの球場最寄のバス停であった。

停留所は、団地の真ん中というようなところにあったが、バスの進行方向にしばらく歩いてみると、確かに野球のナイターをやっているようであった。やった!

そこで相方が喜び勇んでチケット売り場に向かうと、どうもタダで入れると言うことらしい。プロなのにそれでいいのか?と思いつつ、グランドの方に向かうと、本当に野球をやっていた!やった!

1週間ほど、野球とは無縁の生活であったが、やはり野球を見るとなんだかほっとした気分になる。

バックネット裏にやや古めかしいスタンドはあるものの、まずは3塁線沿いの仮設スタンドに腰掛けて、しばらく試合を観戦することにする。観客は200人程度で、味方のチャンスに激しく応援するでもなく、全般的に草野球の延長のような、のんびりしたムードが漂う。試合の途中には控え選手がスタンドにある売店に出てきて、飲食物を買い芝生席でそれを口に入れながらファンと談笑したりしているのだ。昔の西宮球場では、特にロッテとハムの選手が試合前に三塁側の売店で飲み食いをしていたのは何度も見たことがあるが、それに比べてもかなり大らかである。

一応優勝を決めるプレーオフでありながらそんな雰囲気を醸し出すリーグではあるが、グッズも売っていたため、売店に向かうこととする。グッズの種類としてはTシャツとか帽子などがあり、私はTシャツを買うこととした。ここに日本人がグッズを買いに来ることは相当稀であると思われ、売店のおばちゃんも「ここには、かつて日本人が3人いたことがある。マエダとシナダとワキタだ」というような話をしてくれた。ちなみにマエダというのは現長崎セインツ監督代行兼選手の前田であり、シナダというのは元近鉄の品田である。そんな話もしたおかげが、おまけでイタリア野球ゲームみたいなものをくれた(ホテルに帰って開けてみたが、遊び方がよく分からないままである)。


さて試合は先攻球団が2点先制するも、地元ボローニャが同点、逆転と着実に加点し勝ちムード。そんな中、6回表に私がひそかに注目していた投手がマウンドに上がる。

彼の名は『マーチン・バルガス』。私が知っているくらいなので当然日本にいたことがある選手なのだが、彼は2002年から2003年にかけて、中日ドラゴンズに在籍し、2勝を挙げている。この程度なら昨今のように外国人選手が1球団に6人も7人もいれば全く印象に残らなくてもおかしくはないが、彼が中日にいた時代は、監督が我らの山田久志様であったので、私も覚えているのである。

バルガスは、日本にいるときはかなり不安定な投球で山田監督を悩ませた、という印象が強かったのだが、今日は3イニングスを無失点に抑えた。当時もあったが、たまに下手からの投球も披露し、ごくごく一部のファンが「山田仕込みのアンダースローだ!」と興奮を隠しきれなかったのは言うまでもない。

試合はバルガスの好投もあって地元ボローニャが9対3で勝利。
試合の印象としては、振り逃げが2回あったなど、一言でいえば大雑把。しかも、試合の大勢が決すると選手も淡白になれば客も帰ってしまうというのはイタリア人気質そのものか?また作戦とかはほとんどないという気がした。

試合後は選手がレフト後方に歩いて行くので、それを追い掛けてみると、クラブハウス入り口まではファンの出入りが自由のようである。そしてその入り口のところにバルガスが立っていた。実は日本出発の前の週に買ってきたバルガスの野球カードをホテルに忘れてくるという失態をしてしまっていたのだが、せっかくなので思い切って彼に声をかけることにした。

「ナイスピッチング!」のあと、「チュウニチドラゴンズ!」と意味不明な言葉をかけると、彼はにこやかに応対してくれた。いくつか話をしたのであるが、バルガス曰く「来年は日本に行く」「今日は金曜日だから酒を飲めて嬉しい」云々。まあ日本に行くというのは、相方がどこの球団かと聞き返したら返事に窮していたし、かつてD.J選手も同じようなことを発言していたので、多分に社交辞令かと思うが、もしかしたら山田久志監督率いる大阪ロマズ入りか?とアホな妄想が膨らんでしまうのであった。

そんなこんなで大変愉快な時間は過ぎていき、我々は0時7分発のバスに乗ってホテルに帰還したのであった。

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