高知ツアー(2002.2.2〜3)
*画像はちょっと待って下さい(ずっとないかもしれません)
競馬好きでもある私は、四国唯一の競馬場がある高知を訪れる機会を伺っていたのだが、それが2002年の2月に実現することとなった。しかも2月といえばプロ野球キャンプの時期で、しかも高知といえば阪急ブレーブスが30年の永きに渡り春期キャンプを張った街である。
せっかく行くのだから、ブレーブスっぽいものも探してみようということで、当時のブレーブスの宿舎であった「筆山荘」に宿泊することとし、また当時のメイン球場であり現在はダイエーの2軍がキャンプを張っている高知市営球場にも行って見ることにした。
1.筆山荘
さてはりまや橋から路面電車に沿って西の方向に10分くらい歩くと、高知新阪急ホテルが出てくる。ちょうどブレーブス消滅と同時期くらいに建ったと思われるが、今はダイエーの宿舎となっている。そこから南にしばらく行くと三翠園というホテルで、ここには西武ライオンズが泊まっている。更に南に行き、鏡川沿いに建っているのが今回の目的の1つ、筆山荘である。
実は旅に先立ち、2週間くらい前にインターネットで予約したのだが、その際、私より若い旅館の専務よりこんなメールが届いていた。
『1971年〜1991年までの20年間、当館に 阪急ブレーブスのちに(オリックスブレーブス時代)2月 にご宿泊いただいておりました。一番阪急ブレーブスが強かった時代だったと思います。私事ながら、私が生まれた年より当館にご宿泊いただき、私の成人式が終わった年に、キャンプ地が変更になりました。子供心に、大変うれしかったことを思い出します。山田投手や福本選手にもよくかわいがって頂いた思い出があります・・・・。』
うらやましい!
今日は7階建ての6階の部屋。7階は大広間や大浴場なので、実質最上階である。ということは、上田監督とまではいかないがコーチ陣の部屋だったのではないかと思われ、ここでミーティングなどが行なわれたのかと勝手に想像しながら部屋に入る。部屋は普通の和室だが、外を見ると鏡川を挟んで筆山がそびえたっている。休日前にはこの山登りが選手を苦しめたのである。そして川のこちらがわは上田監督が夜明け前から歩いていたと思われる散歩道である。夜になっていたが、なかなかの景色である。
旅館そのものは、さすがにややくたびれていて、プロ野球一軍のキャンプ宿舎としては物足りなくなってきている感は正直否めなかったが、それでもブレーブス選手も入浴したと思われる大浴場に浸かったりしていると、妙に気分が高揚してしまいなかなか眠れなくなり、どういうわけか映っていたサンテレビを遅くまで見ていた。因みに1人だったので料理は普通のもの(とはいえ質量とも満足)だったが、2人以上だと土佐名物の皿鉢料理が出るそうな。
2.鏡川の河原
翌朝、日の出の時刻である7時頃眼が覚め、外を見るとカメラマンらしき人が何人かいる。ダイエーや西武の選手が散歩しに来るのだろうと思い、また上田監督もやっていた(今もやっている)朝の散歩の気分を少しは味わいたいと思ったので、慌てて着替えて下に降りた。
様子をみていると、両球団の選手が通り1つ挟んで川沿いに歩いてくるのだが、西武は集合するわけでもなく各自バラバラなのに対し、ダイエーは皆揃うのを待っている。というわけで、(あと宿から近かったこともあり)私はダイエー集団の近くで、元青波の鈴木平がまだなじんでなさそうだったり、寺原がタンタン山口(マネジャー)と談笑していたりしたのを眺めていた。しかし最も笑ったのが宿舎に引き上げる際の王貞治。近くの散歩中の犬を見つけ、「これは何犬だ」と高校生くらいの飼い主にぶっきらぼうに聞いている。飼い主が困っていると、いきなり「おすわり おすわり」と犬に強要し出し、犬が何もしないと「今日は機嫌がわるいんだな」と言って去ってしまったのである。こんなところでワンちゃんとワンちゃんの絡みが見られるとは。というわけで、他人の散歩観察だけで自分はあんまり散歩できないまま終わってしまったが、朝川沿いの道を歩けば気持ちがいいというのだけは少しは理解できた。
3.高知市営球場
宿をチェックアウトして高知市営球場に向かう。
私は実は12年前にオリックスブレーブスという球団のキャンプを見にここに来たことがあるのだが、そのとき鏡川にかかる橋で1人の選手に「頑張ってください」と声をかけると「ありがとうございます」と言われたのである。その選手は今は太りまくった藤田浩雅と言うのだが、そんなことを思い出しながら橋を歩いていると、春野キャンプに向かう西武のバスが私を追い越していった。まあそれはともかく、球場に着いてみると当時との違いに驚いてしまった。球場がきれいになっているのはもちろん、当時はブルペンだった場所には体育館が建っているのである。また、その先には室内練習場や福岡ドームみたいなつくりの陸上競技場(競輪場?)もある。実は高知では今年国体が開催されるらしく、そのためにスポーツ施設が整備(悪く言えば無駄使い)されてきているというのが真相らしい。
で、今はここではダイエーの二軍キャンプをやっているのである。あいにくの雨で室内練習場での練習となったが、若手の他吉田修司、なべじい、大道なんかがいる。しかし、ウオーミングアップ時間だったせいもあるが、全体的にちんたらしたムードが漂っていた。また、練習場の外では首脳陣が一服していたが、その中でかつて左殺しと言われた打撃コーチがタバコを川に投げ捨てていたことは報告しなければならないでしょう。ただ、球場の話に戻るが、ブーマーが来日してキャンプ中からオーバーフェンスを打ちまくったことがあったが、その名残かレフトのネットは10何メートルかというくらい高いものであった。(ところで83年にOP戦でブーマーが3発打ったことがあり、その打球が川の中に落ちたという話を聞いたことがある。しかしレフト後方は第二グラウンドみたいになっていて川はセンター方向にしかなかった。この真相は如何に・・・)。
というわけで高知市営球場を後にした。全体的に高知の人がプロ野球スプリングキャンプに賭ける意気込みの高さを感じた。街のあちこちにキャンプのポスターが張られ、各球場への臨時バスも頻発している。またそれは、10年も前にプロ野球球団キャンプに去られた筆山荘ですらそうで、私が宿に着くと女中さんが「今日はどっかのチームを見てきたんですか?」という話を切り出してきたくらいなのである(私が事前に野球の話をメールでしていたので、あるいは野球好きと知っていたのかもしれないが)。阪急ブレーブスが強豪として存在したのも、こうした野球好きの高知の人に支えられてきたからであるというのも一理あると感じた次第である(たまたまかもしれんが、ダイエーも高知キャンプになってから強くなった)。
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