OBオールスターゲーム at 西京極(2002.8.24)

さて今日は名古屋から京都に移動し、西京極球場でのOBオールスターの観戦である。
そもそもこの試合は、西京極野球場開設70周年記念野球まつりの一環であり、少年野球教室や大学・アマチュア野球の試合も行なわれる中、メインイベントとして開催されるものである。
西京極球場といえば、言わずと知れた阪急ブレーブス準フランチャイズであり、記念すべきリーグ初優勝が決定したところである。当時、まだ私は生まれていなかったわけだが、ブレーブス50年史等で見られる小林オーナーと西本監督が金網越しに握手をする写真などは、それだけでも非常に感動的である。私自身は、2年前にウエスタン(またかよ)の阪神中日戦を見に来て以来2回目である。

試合前30分くらい前に球場に到着。しばらくするとキャッチボールをするために三々五々ベンチから選手が登場したのだが、その中の1名がスタンドから投げられる帽子にサインをしては投げ返している。誰かと思ったら松永である。私はきむさんと一緒に三塁側ベンチ上に走り、少年野球選手に混じり帽子を投げる。全く、大人げない人たちである。
松永といえば選手時代はどちらかといえばとっつきにくいイメージが強い人ではあったが(注:とはいえ私がはじめてサインをもらったのは83年、当時売り出し中の松永であり、サインをくれない選手ではなかった。結論として、非常に気分に左右されてしまう人であったということらしい)、今は少年野球指導もしているらしく、子供に冗談とかかましながらも笑顔でサインをしている。
その後石嶺も同様にサインしていたが、時間の関係で私は帽子には松永にしかもらえなかった。

今日はパリーグ対セリーグ。西京極ということで京都ゆかりの選手が多数出場している。吉田義男(セリーグ監督)や田尾・斉藤明雄といったところから、上から読んでも下から読んでも豊原豊(元近鉄)の顔が見られる中、我らがブレーブスでは入団時に藤井・本西と並び「社会人トリオ」「三勇士」と称された山越吉洋も出場した。
そしてスタメン。パリーグは1番ライト大熊(阪急)、3番サード松永(ダイエー)、5番レフト石嶺(青波)、8番ショート山越(青波)、そして先発投手は梶本(オリックスブレーブス)という、半分が阪急OBという非常に喜ばしい顔ぶれとなった。因みに4番は佐々木誠(カッコ内はユニフォーム)。
試合は序盤はパリーグ優勢。佐々木誠の一発の他、阪急勢も松永・石嶺は現役時代と変わらぬスイングで長打を飛ばし、先発梶本・そのあとを継いだ二番手米田(阪急)もが好投した。しかし後半は阪神OBを中心としたセリーグに逆転され、結局パリーグが敗れ去った。因みにMVPは元祖大魔神の服部(阪神)、敢闘賞は安部(近鉄)。

注目はやはり山越(他の選手はマスターズリーグでも見られると思うので)。結局のところショートでフル出場。タイムリーヒットも飛ばした。また守備でもノーエラー(とはいえ持ち前の大きなフィールディングは健在)。そして40歳になろうとする今でも現役と変わらぬスマートな体型で登場したのだが、空振りしたときに帽子が脱げてしまったときだけは歳を感じざるを得なかった

試合後は恒例の?(またかよ)出待ち。選手を送迎すると思われるバスが待つ中、神戸や大阪ナンバーの車が止まっていたので、阪急系選手は自家用車で帰るだろうと読んだのだがこれが大当たり、大熊(カード)・石嶺(カード)・梶本(前出の松永にサインをもらた帽子)の各選手にサインをもらう。そして大半の選手が帰った後出てきた山越には、前日康雄さんにサインをいただいた阪急帽にサインをもらう。これでこの阪急帽には本西・藤井・山越の「社会人トリオ」「三勇士」のサインが揃ったことになってしまった。

実は前売りチケットを送付してもらっていたのだが家に忘れてきてしまい、通常二千円のところ倍の四千円払って試合を見たことになってしまったが、そんなことを忘れさせてくれる時間であった。今からマスターズリーグで彼らの活躍が待ち遠しい今日この頃である(山越も出てくれんかな)。

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(石嶺・大熊両選手にいただいたサイン。石嶺さんは背番号を書き分けているらしい)