ナゴヤ弾丸ツアー 大相撲と幻のカラバイヨ応援(2010.7.18)


先週(7月11日)に群馬・渋川球場に出向き、オリックス球団に移籍するカラバイヨ選手を送り出したわけだが、こうなると“オリックスのカラバイヨ”も見たくなるのが人情。当面は育成目的との話だったので二軍戦の日程を調べたところ、1週間後の週末にナゴヤで二軍戦があることが判明。ナゴヤだと、ウエスタンリーグでは関東から最も近い場所でもあるし、何かと話題の大相撲名古屋場所も絶賛開催中である。というわけで思い立ったら吉日、天気予報ともにらめっこをしながら最も雨の確率が低そうな日曜日の試合を観戦することを軸に予定を作成した。

夜行バスで東京駅を出発し、7月18日早朝に名古屋駅着。大相撲の自由席券は8時からの発売であるが、恐らく相当並ぶことになるだろうと予測し、前日のうちに自由席より500円高いイス指定席Bのチケットを購入しておいたのだ。従って、相撲の会場である愛知県体育館に急行してチケット売り場に並ぶ必要はない。

なので朝っぱらからヒマである。そこで、つい最近元阪急ブレーブスの岩本好広が町長に当選したという、大治(おおはる)町に行ってみることにした。日曜なので町役場に行っても町長はいないだろうが、ポスターやのぼりの1つでもあったらネタにはなるという、単なる冷やかしである。

名古屋駅からバスで20分、川を越えたところが大治町。バス停の近くにおなじみコメダ珈琲があったので朝飯を食べたあと、役場のほうに歩いていくことにした。しかしながら、道端には『岩本好広』の文字1つない。役場の手前に公民館があったので立ち寄ってみると、今日は昼から何とか芸術祭が開催されるようである。町主催行事なので、恐らく町長の挨拶くらいはあると思われるのではあるが、昼は野球を見なければならないので断念。その後役場にも行って休日対応のオバチャンに町のパンフレットがあるか尋ねたが、それもなかった。
結局、大治町で岩本町長関連の何かを見つけることは叶わなかった。HPの町長の挨拶でも見てください。

再びバスで名古屋市内に戻ってきたら、何と雨。降水確率も10%くらいだし、他のいかなる予報媒体を見ても雨が降るとは一言も書いていないのに何たることだ、まさか雨男のき○さんでも来ているのかと一瞬思ったが、傘がいらない程度の雨量で事なきを得る。気を取り直して相撲会場である愛知県体育館へ。

話題沸騰の名古屋場所。チケット売り場を見ると、自由席は完売。やっぱり指定Bを買っておいて良かった。
さて今場所の話題はやっはりどうしても野球賭博関連になってしまうのは残念なところであるが、その主役の1人である元琴光喜の載っている番付とパンフレットを一部つづ購入。

そして野球賭博絡みでは、その責任を問われて謹慎した某親方の代わりに元小結大徹の湊川親方が勝負審判へ復帰したことが個人的には一番の関心事である。せっかくなので、審判姿を生でも見たいところである。ところが入り口でもらった取り組み表を見ると、一番最初の担当であり、私が入場したときには既に出番が終わっていた。多分今場所限りの代役と思われるが、何とか秋場所も審判を続けてくれれば、ぜひ見に行きたいと思う。

というわけで入場したときは序二段の取り組み中。力士といっても誰がどうだかはさっぱりわからないので、入り口でもらった取り組み表を眺めるしかないのだが、実は四股名を中心にこの1枚で結構楽しめるのである。例えば、
・田口とか坂口という四股名の力士が出場。どんでんに落とされてナゴヤ球場じゃなく名古屋場所に来てしまったのか?
・式守一輝という行司もいた。「イッキ、お前も名古屋場所に?」
・その他佐竹とか中嶋とか柴原とか秀豊(秀司+豊)とか、無条件で応援したくなる力士がいた。
・荒木とか福留とか新宅という力士は、名古屋では声援が多いのだろうな。
・友和という力士の一番を裁く行司が木村友和だった。
等々、馬鹿馬鹿しいといえばそれまでだがネタは豊富だ。
(写真は左から鎌苅、田口、アンパンマン体型の北川、ゴリラ顔の柴原)

そして個人的に今日の注目の一番、田口対鎌苅。
田口は先に書いたとおりだが、鎌苅である。鎌苅といえば解雇されてしまった貴闘力(大嶽親方)が大鵬家に婿養子となる前の苗字であるが、貴闘力は実は小学校が隣(今は統合されたので同じ小学校になってしまった)ということもあり、彼が本名の鎌苅で相撲を取っていた頃から注目していたのである。まさか今回の件で(統合後とはいえ)自分の小学校が全国ニュースに取り上げられるとは思っていなかったのだが、その鎌苅の二代目だか三代目だかの登場である。因みに本名は鎌苅ではないらしく、前親方が願いを込めて自らの前の四股名を付けたのだろう。
ここはオリックスの正義のために田口が負けるわけにはいかないだろうと思っていたが、熱戦の末田口敗退。

本家(もちろん元阪急のほう)とは似ても似つかぬゴリラ顔の柴原の取り組みを見て、観戦時間約1時間半で会場を後にした。この時間帯だけ見て帰る人はあんまりいないだろうな。

冷房の良く効いた愛知県体育館から、地下鉄とJRを乗り継ぎ、夏の日差しの照り付けるナゴヤ球場着。今年の春先にリニューアルオープンしたとあって、正面が以前来たときと様変わりしていたり、ドラゴンズが練習場や合宿所に近い三塁側を使うようになっていたりしていた。

スタンドに入りまずスコアボードで発表されていたサーパスのスタメンを見ると、オール日本人。ラロッカ、バイナムはおろか、お目当てのカラバイヨがいない。前日にヒット2本を打ち、新井監督もかなり評価しているコメントをしていただけに、通常ではスタメン落ちはあり得ない状況。慣れない環境で風邪でもひいたか、名古屋場所にでも行ったかくらいしか考えられなかった。まあカラバイヨはいないが、それでも一番大村とか四番一輝とか、ドラゴンズの投手が山本昌だったりで、見る価値は充分である。クソ暑い中、おなじみの群馬ダイヤモンドペガサスの帽子を被って観戦。

試合を簡単におさらいすると、5回を何とか0点に抑えた山本昌に代わって6回から出てきた小笠原から四番のイッキが先制ツーラン、その後もサーパスが容赦なく攻め立て、結局8対0で完勝、秋の新潟へ一歩近づいた。
一方完敗してしまったドラゴンズ。試合後の円陣では川相監督が「悔しかったらしっかりやれ!」と厳しい一言。更に「野手陣は打撃練習!日が暮れるまで!」とのゲキには、周りで一緒に聞いていたドラゴンズファンも驚き(本題とは関係ないが、下の昌の写真の右側の選手は、育成選手のヘスス)

ところで主目的であったカラバイヨ。ラロッカや途中代打で出たバイナムはベンチにいたのだが、どうやらベンチ入りもなかったようで、せっかく先週サインをもらった大朝鮮のオリックスユニフォームは出番なし。残念ではあるが、またの機会に会いに来ようと球場を後にする。

新幹線の名古屋駅で板東英二に遭遇したり、大阪に戻るため一般人に交じってホームで列車を待つ大村を反対側のホームから眺めたりしながら列車に乗り、携帯のニュースを覗いてみると、何とカラバイヨが今日の一軍の試合前練習に参加していたというのだ。育成目的での入団でもあり、二軍出場2試合でしかも大爆発したというわけではないのにまさかの一軍入り。こうなれば、“オリックス一軍でのカラバイヨ”も見たくなるのが人情である。9月に前橋で一軍の試合があって、凱旋帰群するカラバイヨを見たいものだが、そのときはもう私は熊谷には住んでいない。

【追伸】
翌日(7月19日)、無事一軍登録されたカラバイヨは、その日の試合に途中出場、二打席目に楽天・山村投手からレフトへ弾丸ライナーのホームランを放ち、鮮烈デビューを果たした。
練習に参加したのに登録が見送られた前日は、『大阪夏の陣』開催中で、カラバイヨの赤いユニフォームがなかったのではないか、と思われたが、その後実施されたユニフォームのオークションには、彼のものも出品されていた。


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