ノリ玉野キャンプと道後温泉→広島ツアー(2007.2.12)




連休3日目。このまま実家にいてもいいのだが、ダラダラするだけなので旅に出ることとする。目的地は、本来は冬らしい温泉ということで日本海側、具体的には城崎温泉に行くつもりだったが、急遽松山・道後温泉に変更する。

神戸から松山に行くには、三宮からバスに乗るのが一番手っ取り早く、またフェリーという選択肢もあるが、まずは新幹線に乗って岡山に向かうこととする。
岡山からは、特急しおかぜに乗るのが妥当であるが、今回は駅前に止まっていた「おもちゃ王国」行きの特急バスに1時間ほど乗って「和田社宅前」という停留所で降りる。どうもここは「造船所の街」のようであり、和田社宅というのもその造船所会社の社宅のようである。

和田社宅前から上り坂を1キロほど歩くと、球場らしきものが見えてきた。わざわざ今回道後温泉に目的地を変えたのは、ここに寄るためである。ここは、「玉野市民球場」というところである。

そもそもは、土曜日にさかのぼる。帰省する新幹線の中でスポーツ新聞を購入して読んでいると、中村紀洋選手(以下ノリ)が11,12日は玉野市民球場で練習をするという記事があった。ノリは、関西地方で練習をしているようだったので、もし帰省中に日時があえば練習を見に行こうと思っていたことは事実であるが、さすがに玉野は遠い。しかし、せっかくの機会でもあるし、同時に以前より泊まりたいと思っていた道後温泉の宿も取れたので、急遽参戦することとなった次第である。

球場には11時半過ぎに着いたが、すでに100人程度の客の中、ノリはフリーバッティングをしていた。打撃投手(たぶん大学生)のコントロールがいまいちなのもあるのかもしれないが、フェンスオーバーはそれほど多くはなかった。それでも低め球を何球か軽々と場外に運ぶ様は、さすがである。
その後は三塁の守備練習を30分程度行い、再度フリーバッティングをしたあと、13時過ぎに終了。最後、練習を見ていた娘さんが「パパ!」と叫んで抱きついたときは、完全に父親の顔であった。

練習後は地元マスコミ各社の取材のあとサイン会。1人残らずサインをしていたわけだが、私の3人くらい前にいた高校生(おそらく、打撃練習のときに球拾いをしていたと思われる)が、サインをもらうときに「今年の夏が最後なんです。何かメッセージを書き添えてください」と言っていたので、「気合や!」と『気力』という言葉を書き添えて渡していた。その後、ノ「また、どこかで会おうな」 高校生「プロで会いましょう!」というやり取りにノリも苦笑い・・・。という感じで終始にこやかであった。
地元の子供にとっては、この時期にプロ選手が練習に来るというのは通常あり得ないことであり、大きな思い出になるに違いない。ノリとは次は鎌ヶ谷ではなく、ミネソタあたりで会いたいものである。

球場から歩いて宇野港へ。途中、かつて存在していた玉野市電の線路跡を利用した歩行者道路を電車気分で歩いてきたが、さすがに6−7キロはつらかった。しかし、玉野は三井造船の街であり、住宅や社員クラブなどの厚生施設が街のいたるところに存在していたのは興味深かった。特に工場の目の前にある社員クラブや宿泊施設は、いかにも昔の「三井」チックな洋館であった。自分がメーカーに勤務していることもあり、こういうメーカー系の企業城下町は大好きである。

船に乗って高松港へ。去年から4回目の四国上陸である。
高松に上陸。いつもだとさぬきうどんか野球鳥なのだが、時間が夕方5時ということもあって、駅前にある「いただきさんの海鮮食堂」に向かう。「いただきさん」というのは、当地で魚介類の行商をする女性のことであるが、要するにその日に陸揚げされた魚を出す店である。ぶり照り焼きとか結構そそられるメニューもあったが、如何せん夕方の5時であり、ハマチの刺身とふぐやかにの入った味噌汁(いわゆる漁師飯)をいただくにとどまる。全般的に量が多く、しっかり晩飯を食べに行くつもりで行けば良かったかもしれない。




バスで2時間強揺られて松山へ。今日のお泊りは、「「極み」のひとり旅」という本で紹介されていた、「オールド イングランド道後山の手ホテル」である。ここは、温泉街にある欧風のホテルでありながら大浴場もあって、しかも浴衣や下駄も置いてあってあって道後温泉本館などへ外出もできるという変わったホテルである。アイランドリーグ観戦の際に泊まろうといつも思っていたのだが、いつも満員なのであり、ようやく予約ができたのである。

歩き疲れたので風呂に入りたいところであるが、腹が減ってしまったので入浴前に腹ごしらえ。松山市内に行けば、「野球道場」という居酒屋があるらしいが、さすがに路面電車に乗って市内に行く気力はなかったため、道後温泉本館前にある居酒屋に行くことにし、地ビールと地鶏(愛媛産)皮のから揚げとハム(愛媛産)&大根サンドをいただく。地ビールは「坊ちゃんビール」という名前で、フルーティな味で飲みやすかったため、1杯のはずが2杯飲んでしまった。因みに醸造元は「水口酒造」というそうだが、われらの栄二となんか関係あるのかな?その後別の店でうどんを食べてホテルに帰還。これから入浴である。道後温泉本館は明日の朝行く予定。

平日のせいか、朝はやっぱり6時頃目が覚めてしまい、することもないのでまずは宿の風呂へ。入浴後もしばらくボォーッとしつつも今日の予定を考えたりしていたが、ようやく8時頃行動を決定する。

まずは道後温泉本館へ。本来であれば、宿の浴衣を着て下駄を履いて訪れたいところであるが、時間の都合により宿をチェックアウトする。このオールドイングランド道後山の手ホテル、飛び抜けてすばらしいというわけではないが、実はチェックアウトが12時までだったりするので、道後でゆっくりする方にはおすすめと思われる。

松山そのものへは、確か4回目の訪問のはずであるが、毎回『路面電車で道後に来て、道後温泉本館で入浴』というパターンであり、たぶんこれからもかわらないであろう。ただ、いつもは茶菓子付の霊の湯を奮発するのであるが、先ほど宿の湯につかったばかりであり、今回は神の湯という、普通の銭湯みたいなところへの参戦にとどめる。
過去の参戦経験からは、道後温泉はものすごく熱い湯というイメージがあり、なかなか体が湯に浸かれないこともあったのだが、今日はそうではなく、やけにあっさり入浴。ちょうどいい湯加減で堪能。

入浴後は朝食を食べようと道後温泉駅前の喫茶店に入る。するとそこには昨日の「道後温泉ビール」があった。せっかくの湯上り状態だし、今日は車を運転する予定はないので、一杯だけいただくこととする。みながあくせく働いているときのビールはなんてうまいんだろう。

道後温泉駅には「坊ちゃん列車」が止まっていた。これは、昔の「坊ちゃん」時代の蒸気機関車を再現したもの(いわば、蒸気機関車風路面電車」)であるのだが、私は実は数年前、山田監督の応援に坊ちゃん球場に来た時に1回乗っている。このときは土産付とはいえ1000円も取られ、おかげで野球の席をワンランク下げざるを得なかった記憶がある。今は300円というまともな値段になっているのだが、そのせいか満席であったため、普通の路面電車に乗ることとした。この伊予鉄道の路面電車、新型電車もあるがやはり昔ながらの電車の「うーーー」というモーター音が最高である。



松山から3時間もかけて広島港に到着。広島はいつ以来かなと思ったら、一昨年末、福岡へマスターズリーグを見に行った際に寄って以来である。そのときもウインズ広島で馬券を買っただけで福岡に向かってしまったのだが、今回も滞在できるのは2時間程度なので、いろいろなことはできないのが残念だ。

まず広島港から路面電車に乗って市内へ向かう。ここは私が生まれた頃廃止された神戸市電の電車がいまだに走っており、かつてはそれに乗るためだけに20分くらい広島駅で待ったことがあったりもするのだが、今回乗ったのは3両連結の最新車両であった。待つ時間はないので、これに乗ることにする。

八丁堀で電車を降り、近くにあるカープ資料館「カルピオCarpio」に向かう。ここは、カープ創設以来のいろいろな資料がこじんまりと展示されており、もちろん入場無料。長谷川良平氏の時代から、浩二・衣笠の時代、そして平成にいたるまでのいろいろな写真や、昔のスコアボードの一部、ユニフォームなど、カープファンであれば間違いなく1日つぶせると思われる。写真の中には、加藤英司・高橋直樹・レーシッチなど、あまりカープでは活躍できなかった選手のものもあって、懐の深さを感じさせた。阪急ブレーブスや、近鉄バファローズには、新旧親会社が親会社なだけに、このような施設ができる可能性がまずないのが残念である。

その後はミーハーにお好み焼を食べることとする。そもそも関西人である私は、お好み焼といえば関西風であり、広島風はあまり進んで食べることはない。1つの理由は、広島風の1つのキモとされる「オタフクソース」が甘すぎるからである。今日も、たまたま昼ごはんを食べていなかったので広島風を食べることにしたが、期待していなかったせいか、意外とうまかったのが収穫であった。もっとも、関東近辺で広島風を食べにいくかといえば、多分行かないのだろう。当然ですが、ここでもビール飲んでます。

まだ少し時間があるので、せっかくなので広島市民球場の外観の写真を撮る。先週、84年の阪急対広島の日本シリーズ第7戦のビデオを見たばっかりなので不思議な気がする。最近、新広島球場の概要が発表され、現市民球場も来年いっぱいだとか。ここには、浪人が決定し半分ウサ晴らしのために18きっぷでやってきた山本浩二引退試合(OP戦)と、ラドウィックが投げたことくらいしか印象がない数年前の消化試合しか来たことがないのだが、来年までに由宇ツアーとあわせて来なければならないだろう。

行き当たりばったりの旅であったが、それもまた良し。旅に出るために、また明日から仕事である。

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