プロ野球 OBオールスターゲーム(2001.11.25 札幌)

2001年11月25日(日)に札幌ドームでプロ野球OBオールスターゲームが開催された。この企画が9月ころ発表され、メンツを見たとき「これは行かなあかん」と1秒で思ってしまった。というのは、パリーグの監督が上田、選手では山田、山沖、藤田、加藤秀に福本がいたからである。というわけで札幌在住の豊蔵氏にチケットを頼み、2ヶ月前から航空券を予約してこの日に備えたのであった。
因みに当初のメンバー発表後中日監督に就任した山田はファン感謝デーと重なり惜しくも出場できなかったが、代わりに梶本が出場、その他石嶺も青波のユニフォームながら出場することとなった。

札幌ドームに入り、スタンドに目を向けると赤いユニフォームの選手が打撃練習をしている。フォームで加藤秀司と分かったその選手は、打球が前に飛ばなかったが12年ぶりに動く阪急ユニフォームを見た私はそれだけで何とも言えなくなった。その秀司の打撃練習をケージの後ろで見ているのは上田監督だ。見つめる姿は以前と全く変わっていない。我々は荷物を席においてから最前列に向かい、打撃練習をもっと近くで眺めることとした。

打撃練習では秀司のほか、福本も相変わらずの低い姿勢のフォームで打っている。またマスターズリーグでも快打連発の石嶺は鋭い打球を飛ばしている。藤田は途中から打撃投手をやり、山沖は練習中ずっとセンターで仁王立ちであった。

今日は石嶺以外は阪急最後のホームのユニフォーム(84年より使用)である。従って、82年オフに移籍した秀司はこれを着るのは初めてなのである。できれば福本と秀司は阪急が最も強かった時代の黒袖H帽が良かったかとも思ったが私は赤白帽も好きなので(現に当日被っていたし)まあ許そう。ただディテールにこだわるならば秀司はKATOHではなくH.KATO(Oの上に横棒)でしょう。あとユニフォームといえば豊蔵氏が現像した当日の写真を後で見ると、山沖のものは「Barevs」になっておる。本人の意思かどうかは知らんが非常にけしからんことである(といいつつもそれが分かった時は大爆笑してしまったが)。

実は行くと決まってから、神戸のお好み焼き屋等で色々と議論を重ねた末、秀司のために「世界の加藤」のプラカード(といってもチラシの裏に書いたもの)と「アホの加藤」のプラカード(同様)を用意してきたのだ。打撃練習を終えた秀司に、秀司ファンの凹氏が「大阪から応援に来ました」と言って「世界の秀司」のプラカードを見せている。秀司は、それをみながら笑っていたのであった。さすがに本人に見えるように「アホ」を出すと申し訳ないので出さなかったが、ここで「アホ」を出したら秀司はどのような反応をしていたか気になるところである(右のものは「アホ」版(実際はA4)。秀司がなぜ「アホ」なのかは当時の相手の野次『打てば三振守ればエラー 歩く姿はボケの花 アホ、アホ、アホの加藤』によるもの。我々が秀司をアホ扱いしているわけでは決してないということだけは強く言っておかねば)。

さて試合である。パリーグのスタメンは1番センター福本、3番ファースト加藤英という懐かしい並びである(ついでに2番ライトは簑田ではなく佐々木恭介)。
1回表から福本四球&盗塁、ヨッシャ-セカンドゴロ、秀司犠牲フライというシナリオを描いていたがそれはかなわず0点。しかし3回に9番田村のヒットのあと1番福本もヒット、2番に入っていた栗橋が2塁打で2点入ったあと、秀司もこれに続いてタイムリー。あっという間に3点を先制した。ここは北海道なので95%くらいは読売ファンであり、パリーグの選手がスタメンで紹介されても我々しか拍手がないという圧倒的アウェーの状況であったが、さすがはパリーグのつわものである。我々の一角だけ盛り上がってしまい、特に秀司のときは「アホ」横断紙まで出しての狂喜乱舞で、よく回りが何も言わなかったなというくらいである。

ここで試合でのブレーブス選手各人について振りかえりたい。
(福本豊)
1番センターでスタメン出場。盗塁はなかったがヒット1本。栗橋のタイムリーで生還し、これによって特別賞(好走塁賞)を受賞した。センターの守備であるが、現役末期と比較して肩が強くなっていたような気がしたのは私だけか?いずれにしても福本はやはり1番センター福本がお似合いである。

(加藤秀司)下写真が優秀選手の4人。右からロッテ高沢、近鉄草魂、阪急加藤、ヤクルト若松(おめでとうございます!)
3番ファーストでスタメン。3回のタイムリーの他にもヒット1本を打ち優秀選手賞。また1回の守備に付く際に球を後ろにそらすなど非常に不安視された守備もノーエラー。その他牽制球に対し1塁ランナーの正田の頭を4回小突いたり、腰をひねった仕草(若干はひねったと思うが)をしたり、守備につくときのガニ股歩きなどのらしさが存分に発揮された。

(梶本隆夫)
前々日くらいに急遽出場が決定。1回を1失点ながら王は抑えた(長嶋には四球)。60歳を超えているが体つきはスマートで球もソコソコ来ており(現に同世代が監督コーチをやっているマスターズリーグでも選手登録)、非常に若々しい。ただ山田に代っての出場だったが、梶本さんの登板中のスコアボードが「山田」だったのは遺憾である(といいつつも我々は大爆笑であったが)。

(山沖之彦)
パリーグがリードした中盤、しかも捕手が藤田に代わるなど不安イッパイのシュチュエーションでの登板。ユニフォームはけしからんがピッチングは1イニングを0と現役時代とは異なる安定感ある投球。特にこの日唯一の見逃し三振を宇野から奪ったがこのカーブは切れていた。

(藤田浩雅)
山沖と共に登場。プレー云々よりも太りすぎが最も印象に残っている。あと我々の10列くらい前の人たちがGのメガホンを持って藤田の横断幕を掲げていた。家族親戚?まあそれはともかく森本さんと西沢アナに散々バカにされた淡白な打撃では凡退したがカウント2−3まで持っていった

(上田利治)右写真。一番右は石嶺
やっぱりこの人元気である。セの監督の川上が足元フラフラ、采配も実質古葉がやっているような中、ウエさんは毎朝の散歩の効果もあるのか足取りも確か、試合前の打撃練習も精力的に見るなど、今どっかの監督をやっても十分可能であるというところを見せ付けられた。

(石嶺和彦)
青波のビジターのユニフォームで登場。できれば55番か29番の阪急で出てきて欲しかったがまあ良い。最近はマスターズリーグで松永とともに別格級の働きをしており、やはりここでも打球の早さは相変わらず。また打席の仕草、バットスイングの軌道も健在であった。どっかコーチの口ないか?

その他の球団で目だった選手についても2、3。
(栗橋茂)左写真
石嶺らと共に急遽出場。「試合後の大阪球場でおねえちゃん2人を両手に抱えて夜の町に消えていった」という凹の話(凹曰く「あれはカッコよかった」)を聞いてから『超遊び人』というイメージが我々の間では定着し、一躍話題の人となった。マスターズリーグでは好調大阪の中で不調を極めていたがここでは先制2点タイムリーの後も中押しタイムリーと活躍、MVPに選ばれた。当然、賞金はその日のうちにすすきのに消えたであろう。あと、表彰式では司会者が「MVPは!」と言ったあと名前を呼ばれる前にベンチからスタコラと登場というボケもかましてくれた。

(ロッテ選手)
ロッテからは北海道出身の高沢(元同じ町内に住んでいたことがあり、家族で東急ストアでお買い物をしてたのを目撃)、佐藤兼伊知(どうでもいいが書きにくいこの名前)の他村田、有藤、西村が出場。有藤は1回裏いきなり2エラーをし相変わらずどうしようもなかったが、他の選手は打てば快打連発(打球が早い!)、守りでは併殺をいくつも完成(秀司がファーストでエラーしなかったのも良かったと言っておきましょう)するなど、ロッテ浦和球場で極秘練習をしていたのではないかと思うくらいの好プレー連発であった。また村田はこの日最速の135キロを記録。本人は140キロ出なかったので不満だろうが、原に対しストレートで数球粘られた後フォークで三振を取ったのは圧巻であった。

(その他)
吉岡悟の太平洋クラブ、加藤初の西鉄ライオンズ、尾崎行雄の東映フライヤーズなどの珍しいユニフォームが見られた。
(フォロー)
現役打者でカープの東出、青波の葛城が登場していずれもヒット。打球の早さがこのメンバーでは際立っており、やはり現役はすごいと感じた一瞬であった。

因みに試合の方は7対4でパリーグの勝利であった。
昔球場に行けば必ず会えたあの名選手。スピードやパワーは衰えても仕草は変わらない、そういうところに非常に人間くささを感じてしまう試合であった。

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