背番号別トッププレイヤー(週刊ベースボール2月18日(選手名鑑)号)
*画像はちょっと待って下さい(ずっとないかもしれません)
週刊ベースボールという雑誌が毎年2月上旬に選手名鑑号を出すのだが、これは時期的に最も早いこと、値段が手ごろなことから私も長年にわたって購入し続けている。その号は、毎年名鑑にまつわる特集もあって、一昨年は背番号、昨年は出身地であり、今年はまた背番号である。マリーンズの黒木(知)の54について、前任者の石田雅彦が「お前のためにこの番号をあたためておいた」といったというエピソードは一昨年も今年も書かれている(「あたためて」の漢字が、一昨年は温、今年は暖と違うのが笑えるが)。
それはともかく今年の特集の筆頭は、「背番号別トッププレイヤー」で、要は「その背番号を着けて、最も長くプレーした選手は果たして誰か」という、結構マニアックなものである。
その中に、我らが阪急ブレーブスの選手が多く対象となっており、しかも結構「おやっ」と思うような選手までいたので、ここにそれを紹介することとしたい。但し、これは選手期間のみを対象としているそうだ。
7 福本 豊(72〜88年)
最近週べで涙を流し続けている豊田泰光と並び17年で最長。因みに福本は入団から3年間は40であったが、コーチ・二軍監督の2年間も7を着けていた。その後青波でも10年以上誰も着けなかった(イチローに打診したが拒否されたとの話も)が、01年に横浜から移籍してきた進藤が着けることになった。進藤もいい選手だが、内野手なので自分自身の心境は複雑だ。
11 佐藤 義則(77〜98年)
22年着用。佐藤入団時に小学3年だった私は、引退時には30歳を目前にしていた。佐藤にはONからの連続三振、腰痛による任意引退、復活しての最多勝と防御率1位、ノーヒットノーランと色々あったが、私には何もない。また44歳まで現役だったということも驚きである。
16 足立 光宏(59〜80年)
これまた22年。週ベには「16といえば赤バットの川上」などと書かれているが、日本シリーズにおいて、その川上率いるV9読売軍を唯一圧倒したといっていいのが足立。特に76年第7戦の好投は阪急球団史でも五本の指に入る出来事であろう。因みに阪急で最後に16を着けたのが伊藤敦規(現阪神)で、息の長いアンダースローという共通点がある。
18 米田 哲也(56〜75年)
一般的にエース番号といわれている18のトップは通算最多登板数949を誇る米田。移籍した阪神・近鉄では18を着けることはなかった。因みにこの号には各球団のエースナンバーについての記事もあるのだが、阪急(青波)は、「阪急時代は米田の18、山田の17だが、親会社が変わったこともありその継承はうまくいっていない」とのこと。17は18年着けた山田のあと、長谷川までは良かったが前田和、戸叶であり、18は稲葉、野中、酒井(新人王)、その後誰?というところ(昨年はクデソン)である。
21 今井 雄太郎(71〜90年)
東尾と並び20年でトップ。今井の場合、ドラフト2位ということで期待されての番号だと思うが、入団後7年全く目が出なかったにもかかわらず背番号変更がなかった、ということが不思議である。
33 梶本 隆夫(54〜73年)
こうして考えると戦前と山田(入団後2年は25だったため、板東(近鉄)が17の最長)以外の主な投手が続々と登場しているというのが阪急の凄さかもしれない。33に関しては、高校卒で1年目から開幕投手もやった梶本にしては結構大きな番号という気もする。コーチになってからもしばらくは33のままだったが、甲子園優勝左腕の松本の入団により背番号を譲った。しかしその松本は・・・。その後もは原田や平井など、右投手の番号になっているのが何とも残念だが、95年に平井が大活躍したときは33が妙にはまっていた。
36 山森 雅文(79〜94年)
しかしこの男、本当に意外なところに顔を出す。16年は読売の国松と並びトップ。国松の36番は全然知らん。山森はウエさんがハムの監督になり、外野守備コーチとして呼ばれたのだが、むりやり引退させられたような気が今もしている。もしウエさんがハムの監督にならなかったら、やっぱり今はサーパスのコーチをやってるかもしれないが、少なくとも本コーナーでは国松ごときを上回り単独トップとなっていたのになぁ。
39 中沢 伸二(65〜85年)
黄金時代の名捕手がここで登場。中沢の影響で、捕手といえば39というイメージもある(あと河村→石嶺の29も)。ドラフト制以前からの選手で最後の生き残りではなかったか。本コーナーには19野村、27森&伊東から43土肥、51丑山まで、捕手が多数登場している。
45 米村 理(78〜88年)
11年着用だが、番号が大きいこともありこれまた意外にもヨネマーが登場。さすがに書くことがなく、文中には角三男、大久保博元、パンチ佐藤の名も。
ま、これはこういうデータがあるということで。
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