藤井康雄引退試合(2002.10.13 神戸)

とうとう我らが康雄さんがバットを置く日が来てしまった。
9月25日の引退発表後、引退試合が10月13日と発表された。この日はちょうど3連休の真中。それまでの放浪癖がたたり金銭的に極めて苦しい状況ではあったが、これは何をおいてでも駆けつけざるを得ない。

というわけで前日は東京駅から夜行バス「ドリーム号」に乗り込む。数々の夢を与えてくれた康雄さんの引退試合にふさわしい旅立ちだ!といえば聞こえがいいが、ただ単に安いからである。その前の晩も、阪急時代の康雄さんがちょっとだけ写っているサンテレビボックス席や、ウイニングボールをつかんだ95年の青波優勝試合のビデオをずっと見ていて寝不足ではあったのだが、バスに乗り込んでも興奮しているのかあまり寝ることができず、結局2時間位うとうとしただけであった。

バスが大阪駅に着いた後、身を清めようと(半分冗談)電車で玉造まで行き銭湯へ。ここの靴箱はけしからんことに7段しかなく、1〜7の次は11番なのである。仕方なく適当な番号のところに靴を入れ脱衣場へ。こちらにはちゃんと8番のロッカーがあったので使わせてもらった。

風呂に入ってさっぱりした後は一路西宮球場へ。今年に入って競輪を見たり、野球もやったりして結構堪能しているはずなのだがやはりここに来てしまう。昨日と今日は県民フェスタなるイベントが行なわれており、昨日は合唱団による「阪急ブレーブスの歌」合唱や、ブレーブス最終戦のビデオまで流されたようである。今日はどちらかといえば体育の日関連行事らしいのだが、開門前に来てしまったので惜しくも中に入ることはできなかった。

西宮北口から阪急電車で三宮に向かい、紙テープを購入すべく東急ハンズへ。こちらも開店前に着いてしまったが、待っているときむさん(阪急ファンで行こう 管理人)よりメールが。「青波ショップ既に満員。今日は9時(実際には久慈と書いてたが)から営業とのこと。引退記念グッズ買いこんでしまいました」とのこと。しまった、早く行っておれば良かった・・・。ハンズ開店と同時に店になだれ込み赤と白(黒も買うつもりだったが、なかった)の紙テープを買い急いで青波ショップへダッシュ。Tシャツは既に売りきれていたが、ポスター・タオル・ステッカーを購入(帽子はきむさんに頼んでおいた)。また今日残念ながら来ることができなかった友人Z(康雄さん最初の試合である87年の開幕戦に一緒に行った)にもタオルを購入した。

地下鉄で総合運動公園へ。今年3回目である。駅前には今日の試合を共に見る数人の皆さんが待っている。中には近鉄の応援に来たと言い切る某さんもいるが、まあいいか。内外野自由席は無料であるが、少しでもいい場所で最後の康雄さんを見ようと、A指定席に入る。タダで入れるのにお金を払うとは、阪急ファン時代には考えられない行動ではある。
球場の中では我々と同じように最後の康雄さんを見ようと、ユニフォームや帽子をかぶる人、プラカードを上げる人が数多くいる。私も、三勇士(康雄さん・本西・山越)のサインの入った阪急帽子に、同じく三勇士がポーズを取っている「ザ・ブレーブス」を額に飾ったものを取りだした。

試合についてはこんな感じ
スタメン発表
我らが康雄さんは4番DHで出場することが決まっている。思えば阪急ブレーブス最後の4番。以降は門田の加入や猫の目打線の影響でそう多くはなかったが、しかしやはり4番がふさわしい。
プレイボール宣言
今日は康雄さんの3人のお子さんが登場。長男の誠哉君は14歳だそうだがかなりでかい。そして「今日は結果を気にせず思いっきり頑張ってください」とのせりふに思わず爆笑してしまった。
始球式その誠哉君が投手、康雄さんが打者という親子競演。外角のボール球であったがかなり威力のあるボールで、これでは康雄さんは打てない
第一打席いきなり1アウト1・2塁のチャンスである。左翼席の近鉄フンからも声援が送られる中、いい当たりではあったがファーストライナーで併殺。惜しすぎる
ありがとう藤井ところで今日の試合はオーロラビジョンの画面に1球毎に「夢と感動をありがとう 藤井選手」の文字が出るのだが、これが康雄さん以外の全ての打者の打席に出る。従って、近鉄の先発捕手・藤井の打席でも、彼は今日やめるわけでもないのに「夢と感動をありがとう 藤井選手」が出てしまう・・・。
第二打席全盛期を思わせる鋭い当たりの2塁打。しかしその後の打者が凡退し話にならない。
茶番そして話にならなさが象徴的だったのが5回。珍しく佐竹がセフティーバントで出塁(とはいえこれは岩隈の握りそこない)、セカンドのエラーでノーアウト2.3塁のチャンスとなるが、塩崎のセカンドライナーで飛び出した三塁走者の佐竹がタッチアウト。この判定に怒った佐竹が審判に暴行を働き、速攻で退場となった。因みにこのプレー、多分セーフであり、しかも佐竹の「暴行」も中途半端、本当に情けないやつだなぁ。
第三打席私が掲げているパネルの写真の写真(ややこしいが)を撮りたいとあかの他人が私の席までやってきて写真を撮っているうちに初球を打ち上げレフトフライに終わる。
第四打席そして結果的に最後の打席となった第四打席。ランナー一塁で投手が左の吉田豊彦に。普段のインケツ采配なら代打佐竹となってしまうがさすがに今日はなし(佐竹も退場してるし)。プロ入り初試合・初安打・初ホームランがすべて南海戦という康雄さんであるが、最後の打席も南海の生き残り投手とは何たる因縁。最後の最後で実現した「阪急対南海戦」であったが、康雄さんは吉田の速球を叩くと打球はするどくライト前へ。今日のどの選手よりも球足は速く、本当にもったいない。その後高見沢のタイムリーで二塁に進んでいた康雄さんが劇走してホームインで同点。さすがである。


結局試合は9回表に2点取られ、その裏もランナーが2人出ればもう1回康雄さんに回るところだったが、塩崎・相川では話にならず期待の平野も凡退。結局康雄さんの最後の試合はここで終わってしまった。
そしてセレモニーへ(これから作ります)

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