@ 01.7.25(水)


何を思ったか、また野球を見にアメリカにいくことにした。

今回は、独立リーグで頑張る元南海佐々木誠選手の応援を中心に、サンフランシスコ近辺のメジャー・マイナーを回ることにした。サンフランシスコには、ジャイアンツ、アスレチックスのメジャー2球団を始め、その両球団のマイナー球団が周辺にいくつかあって色々なレベルの野球を見るのには適している。周辺といっても車で2時間くらいは余裕でかかるのだが。

今回のツアーは、夏休みの真っ只中ということもあり安い航空券がなく、何とエアカナダを使ってバンクーバーからサンフランシスコに乗り込むこととなった。このエアカナダ、いきなり成田で音響(機内アナウンス)の故障で立ち往生し、その後も遅れを取り戻せないまま、結局バンクーバーからサンフランシスコ行きの接続便には間に合わず、次の便でサンフランシスコに着いたときには予定より数時間遅れの午後4時半になっていた。

今日の予定は、サンフランシスコから車で2時間のサクラメントでの3Aの試合観戦であったが、時間的に間に合いそうもなくこれは明日に回すことにした。そういうわけで今日はサンフランシスコから近いオークランドでメジャーを見るか、サンノゼで1Aの試合を見るかという選択になったわけだが、後者は明日デーゲームを見る予定にしているのであっさりサンノゼに向かうことに決めた。

というわけで、予定外の行動になってしまったので球場への道筋が分からない。まずはホテルに入って聞いてみるが分からんという(これは、「サンノゼジャイアンツスタジアムはどこ?」などと存在しない球場の名前を聞いたからだとも思われる)。仕方なく車で町に出て当てずっぽう走っていると、何とかスタジアムという表示が偶然出てきたのでそちらへ向かう。どうやらスタジアムらしきものは2つあるらしく、その片方の駐車場に8ドル出して停め、入場券売り場に向かう。結構人が集まっていたが、何か様子が変である。売り場でイベントの確認をすると、「ウーマンサッカー」と書いてある。どうやらプロ女子サッカーのリーグ戦である。ここでこれを観戦していってもネタ的には十分美味しいが、野球観戦が主なので立ち去り、もう1つのスタジアムに向かうことにする。

もう1つのスタジアムは野球をやっており、車を止めてスタジアムに入る。既に試合が始まっていた。
このサンノゼの球場はずいぶん古いもので、サンノゼのマイナーチームの歴史も古い。サンノゼといえばハイテク産業都市として名が知られているが、かつてジャイアンツではなくビーズと名乗っていた80年代、西武ライオンズが若手選手をここに派遣していたため、日本の野球ファンには以前より知られていた町である。
プログラムを買って見るとチームの歴史が載っている86年のチームのMVPとして田辺が載っているが顔はやっぱりおっさん顔である。そういえば田辺が日本に凱旋帰国みたいな形で試合に出だした頃はバットを寝かせる独特の打撃フォーム、石毛をサードに押しのけるくらいの強肩で西武に勝つのはこれでまた更に大変になったと思わせたものだった。その他年度別のチーム最高成績が部門別に載っており、打撃では田辺の他秋山の名前もある。一方投手では亀井、串原、成田、川本など日本でそろって討死にしてしまった名前が並ぶ(あとドラフトで阪急を蹴っ飛ばした川村も)。彼らの名前をほぼ10年ぶりくらいに確認して思わず笑ってしまった。その中で今も現役投手として頑張っているのが横田である。
さすがに1Aともなると知っている選手はいないが、84年に日米野球でオリオールズの一員としてリプケンやマレーと共に来日、以後ロッテのコーチもしたレンサカタがサンノゼの監督であった。昨年はモヒカン刈り事件でお馴染み元読売のカムストックが監督だったらしい。

さて試合の方は私が入場してから全く点が入らなくなってしまったが、最終回にサンノゼが3点を取って逆転サヨナラ勝ち。しかし最後の1点が押し出し四球という何ともしまりのない幕切れであった。

ここに当日のスコアが載っています(いつまであるかわかりませんが)
7.26
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