B 01.7.27(金)(ソノマカウンティ−ロングビーチ戦(独立リーグ)観戦)

今日は、元南海ホークスの佐々木誠選手を応援すべく、彼の所属するウエスタンベースボールリーグ(いわゆるメジャー傘下ではない独立リーグの1つ)のソノマカウンティクラッシャーズの本拠地、ローナートパークという町に行くのだが、サクラメントのホテルを出て、まずはサンフランシスコ市内に戻る。
地図上では、サクラメントからローナートパークまではまっすぐ行けば早く着くのだが、なぜわざわざサンフランシスコに向かうかといえば、目的は2つあって、1つは「路面電車おたく」としてサンフランシスコのケーブルカーに乗ること(及びケーブル博物館に行く)、もう1つは前回の12日にわたるツアーでなぜかできなかった「ステーキを食べる」ことである。
実はこれらについては、10年前にサンフランシスコに来たときにやっているのであるが、特に後者は、1ヶ月にわたるアメリカ「観光」ツアーの最後の夜、お金がなく、オークランドで野球を見るかステーキを食うかという二者択一でステーキを選択し食べたといういわく付きのものなのである。
これらのイベントを無事終了した後(因みにステーキ屋はまだモーニングの時間帯であって、みんなが軽いものを頼む中1人だけステーキを食っているというのも間抜けだった)ゴールデンゲートブリッジを渡って北へと進む。1時間ほどで佐々木誠の所属する「ソノマカウンティクラッシャーズ」のホームグラウンドであるローナートパークスタジアムが見えてきたので下見がてら立ち寄り、前売りでチケットを購入する。昔ながらのコンピューター印刷ではないチケットである。その後は更に車で10分ほど北に進んで競馬場に行くことにした(というか予定とおりなのだが)。

この競馬場は普段は遊園地と農場であるらしいのだが、今日を含めた2週間ほどはフェアが行われていて、物産展の他、お祭り的に競馬が行われており、人がたくさんおり活気があった。遊園地の入場門から競馬場に入っていくというのもまあ間抜けといえば間抜けだがしょうがない。

競馬場内に入ってまず様子を伺う。最初のレースは今や新潟名物となった直線レース。ただ、これが350ヤードという距離で行われているのである。レースを見ていると、最初っから最後まで騎手がムチを入れまくり、それに馬がゴール前では耐え切れず寄れてしまうというもので、何だかものすごいものを見てしまったという気がしてしまった。
今日は全レースでダブルやトリプル(ピック3)(これらの意味はここをクリック)をやっており、エグザクタ(馬単)と合わせて3つの買い方で数レース馬券を買って楽しんだ。成績は、6頭だてのレースで2頭除外になり殆どが買い戻しとなってしまったレースもあったが、最後の7頭だてのレースで人気薄が2着に入りこの馬単を取ったおかげで日米通じて久々のプラスを計上することができた。

その後はホテルに戻り一休み。テレビでブレーブス戦をやっており、マダックスが相変わらず快調な投球をしていたためついウトウトしてしまった。

さて球場に向かうと、まだ開門時間になっていなかったがそれでも10名くらいのファンが集まっていた。球場内に入ると何人かの選手がクランドでアップをしていたが佐々木らしい姿はみあたらず、場内を散歩しているとどうやら選手たちは3塁側後方のクラブハウスにいることが判明したのでそちらに向かうことにした。クラブハウスの前では打撃コーチのケビンミッチェルが何人かの選手と楽しそうに話している。ダイエー時代に見たときは本当にこれでレフトを守れるのかというくらい大きくて太った選手だったが、それが更に肥大化し、選手の2倍くらいの体格となっていた。そこには佐々木は現われていなかったのでしばらく待つことにした。

ところで今まではマイナーといえどこのようなシュチュエーションの中ではサインを待つ人が結構たくさんいたものだが、ここには2〜3人しかいなかった。その中の1人、年齢不祥だが子どもではない男と話ながら時間をつぶした。彼は熱狂的なミッチェルファンで、彼の写真やカードを色々持っていてミッチェルは素晴らしいという話をし、私にカードまでくれるのである。そして私が佐々木を見にきたというと、「彼はナイスガイだ、応援してるよ」とのことで、これはちょっとうれしくなってしまった。また監督であるアイルランド(元広島)も日本でプレーしていたという話にはそれは本当かと聞き返したりしているうちに時間が過ぎていき、気がつけばクラブハウスから佐々木が登場してきた。

出てきた佐々木に「頑張って下さい」と声を掛けると、オッという表情でこちらに駆け寄り、そして私が持っている「センチュリーベストナインの南海時代のカード」を見ると「何を持ってきたんや」と言いながらもサインをし、写真をとらせていただいた。そしてもう1度「頑張って下さい」と言うと、にっこり笑ってベンチへ向かっていったのであった。
私が嬉しそうな表情だったのかどうかはしらないが、ミッチェルおたくも「良かったな」と一緒に喜んでくれた。実際に試合がまだ始まっていないのにもかかわらず、来てよかったと思ってしまったくらいである。そんな気持ちを持ちつつ、試合が始まった。

佐々木は3番DH。1回ウラ1死1塁の場面、場内アナウンスが「マコト、ササーーーーーーキーーーーー」と紹介する中、紫のユニフォームを着た背番号1の佐々木がゆっくりと打席に向かう。観客も大きな歓声をあげている。そして佐々木は、初球ではなかったが広く開いた一二塁間をきれいに破るヒット!1塁ベースコーチのミッチェルと喜び合う佐々木の姿がやけに誇らしげであった。その後の後続打者の3ランもあっていきなりの4点先取に貢献した。
試合の方は終始ソノマペース。私もファーストスタンド後方でバーベキューを買ってきて食べたり競馬で勝ったお金でソノマの帽子を買ってかぶったりするなどしながら野球を堪能した。佐々木はその後残念ながらヒットこそ出なかったが、四球で出て好走塁を見せるなど、健在ぶりを確認することができて満足である。

佐々木以外では、寒いのでジャンバーを着たまま1塁コーチを務めたミッチェル、相手チームの中継ぎで登板、良い球はあるがボール連発で自滅した日本人投手と思われるトミタ などが印象に残る。ベンチコーチであるはずのハイディ古賀前ダイエー二軍監督の姿は確認できなかった。ちょうどこのころ、ダイエーから短期留学していた若手投手が協約違反ということで帰国させられていたので、あるいはそれに付いて行ったのかもしれない。

結局試合はソノマが8−2で勝ち。試合後、クラブハウスに引き上げる佐々木にまた声を掛けるとまたにっこり笑って応えてくれた。佐々木より歳の若い私がいうのもなんだが、「ナイスガイ」である。
佐々木が去った後、ミッチェルが子供たちに囲まれてサインをしていた。アメリカでMVPを取ったこともあるミッチェル、誰が何と言おうと本物の大スターで人気者である。そういうわけで、私も先程ミッチェルおたくからもらったカードにサインをいただいた。

思いっきり野球がやりたいとこのアメリカの田舎町でプレーしている佐々木の姿を見ることができて本当に良かった。ホテルに戻って、彼の心意気の素晴らしさを感じると共に、彼を受入れることができない日本球界の難しさを改めて考えさせられた次第である。

(佐々木スペシャル)
左側:試合前にもかかわらず写真撮影に応じてくださった佐々木選手
中側:ネクストバッターズサークルに立つ佐々木選手
右側:試合前なのにいただいたサイン(カードは『センチュリーベストナイン』のもの)



(ケビンスペシャル)
左側:試合中(イニングの合間)にもかかわらずベンチ横の人々と話に興ずるミッチェルコーチ
右側:試合後にいただいたサイン(カードは現地のミッチェルおたくよりいただく)


ここに当日のスコアが載っています(いつまであるかわかりませんが)
このツアー他の日はこちら。7.25 7.26
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