サーパス神戸応援あじスタツアー(2003.7.5) 〜ヒデジ監督 後期初勝利!

2003年も阪急ブレーブスを追いかけざるを得ない私にとって、ブレーブスOBが首脳陣に集結しているサーパス神戸は、ある意味最も応援しなければならない球団である。そのため、今年もナゴヤでの教育リーグ(このときはあくまでも青波二軍)や碧南でのウエスタン リーグトーナメントに駆けつけ応援してきた(単に酒飲んで野次ってただけという説も)が、やはり真のサーパスファンであるならば、本拠地である北神戸あじさいスタジアムに行かねばなるまい。実は開幕戦(3/29)に行くつも りであったが、その前の週に実施された某イベントのおかげで行くことができず、その後も日程が合わず、結局開幕戦と並ぶ帽子デーのこの日にようやく行くことができたのであった。
おりしもサーパスの上部団体である青波は極度の不振により監督とヘッドコーチが更迭、そのあおりを食ってサーパス監督も中沢氏から加藤秀司氏となるなどの変化もあった。

当日は梅雨の真っ只中。私も天気を心配し夜行バスで名古屋まで向かい、関西地方の天候が雨ならナゴヤドームに行くというような二段構えの計画を立てた。名古屋に着いてからも、掲示板に皆さんに天気を書き込んでもらったり、高橋智がいるという金山のマッサージ店の上にある漫画喫茶のインターネットや携帯で天気予報のページとかなりにらめっこし、さらにはウインズ名古屋で阪神競馬の画像を見つつ悩みに悩んだ。結局兵庫県南部の降水確率は50%近辺をうろうろしていたものの、「行って雨中止」よりは「行かずに試合開催」の方が悔いが大きいと考え、北神戸に乗り込むことにした。

大阪駅から福知山線に乗り三田へ。快速で35分程度ではあるが、宝塚を越えると山の中。大阪では薄日が差していたのにこちらはいかにも雨が降りそうである。三田で神戸電鉄に乗り換え二郎(にろう)駅に向かう。ところで神戸電鉄といえば、阪急の子会社であるが、小学校低学年まで鈴蘭台に住んでいた私にとっては、非常に懐かしい電車である。恐らく北鈴蘭台や谷上あたりに住んでいれば、幼稚園の春の遠足のいちご狩りで二郎に来た経験があるはずだ。それはともかく、二郎駅は無人駅で、周りも田んぼや草むらばかりという、とても神戸市とは思えない環境にあった。

しかしながら私が目指すあじスタは、ここから更に歩いて20分という、驚くべきところにある。しかも、案内看板はあるものの、けものが出そうな山道を抜け、とてもしんどい坂道を越え、高速道路をまたぎというような、およそプロの野球を見に行くとは思えない道である。そうは言ってもこれから始まるのがサーパスの試合でもあり、期待に胸膨ませ(サーパスだけに)たせいか、道はそれほど苦痛には感じず、運動公園の入り口から球場までは思わずダッシュしてしまったほどである。

球場に着くと数十人程度列を作って待っており、そこの最後尾に並ぼうとすると、なにやら整理券も配っている。帽子の整理券かと思ったら、今日のもう1つのイベントである写真撮影会のものであった。私は、どちらかといえば首脳陣との撮影がベストなのだが、ネタにはなるかと思い整理券をもらって並ぶこととする。

しばらくするととある大柄の選手がジュースを買いに球場前の自販機に現れた。よく見るとこの日からサーパス入団となったシェルドンである。私は、かつてアメリカで彼にサインカードをもらっているので、それを見せ、「むかしクリーブランドでカードをもらった」というような話をしたのだが、特に反応はなかったのが少々残念であった。それでも日本のカードにサインをもらい、礼を言うと「どういたしまして」と日本語で返ってきた。
その後写真撮影会となり、今日の選手は小川と早川であった。しかし早川は途中でいなくなってしまい、結局私は小川と撮影をするにとどまった。小川でも、これが小川史コーチや、小川博文だったら発狂してたかもしれないが(右写真が小川と謎のモザイク野郎)。

そして球場入場時に念願のサーパス帽をもらう。質的には京都OB戦のもの(某さんがボロクソ言ってたが、松永・石嶺にサインをもらうと一気にお気に入りに昇格したもの)ではあり、しかも紺色なのでサインをもらっても見えない。しかし、わざわざこれをもらいに来たわけであるし、私にとっては大変な宝物だ。鎌ヶ谷にも被って行こう。

球場内では、マスコットであるサマーとシルキーが愛想を振り撒いていた。彼らの愛想のよさは昨年GS神戸でも我々の他愛もないギャグにも反応してくれるなどで実証済みである。というわけで私も、どういうわけか買っていた年間パスに両者にサインをもらい、写真までとる。しかしちびっこに混じってそこまでやるか30過ぎのおっさんよ、というところではある。

しばらくすると野球観戦仲間であるなかケンさんや掲示板に書き込みをいただいている勇者の残党さんとお会いする。なかケンさんは、ヒデジ監督が就任した週に福岡・雁の巣に行っており、そのときの写真を見せていただく。ヒデジはやっぱりちょっと老けてしまった感はある。しかし衝撃的だったのはサーパスとは関係のないところで、ダイエー二軍佐々木誠コーチが太ってたこと(ソノマ時代とは大違い!)である。一方勇者の残党さんとは初めてお会いしたのだが、マジメな野球ファンという印象である。そして先日某氏からもらったという宝物を見せてくれた。そんなこんなで野球談義の花を咲かせているうちにカープ戦の試合開始となり、私はこの日のために作った「72FUJII」のサーパスレプリカユニフォームを着用し、先ほどいただいたサーパス帽子を被り臨戦体勢である(因みにもう1名、途中からまゆみ氏も参戦。初あじスタ・日没後・女性であるのにも関わらず二郎からの山道を登ってきたとのことである。すごいぞ!)。

試合は土井と河内の両左腕の先発で始まったが1回から荒れ模様。エラー・四球が多くいかにも二軍という試合であった。それでも牧田(彼は私が行くと良く打つ)・C栗原・倉の一発、そして青波からサーパスを救うためにやってきた?シェルドンもライトへ一発と、格の違いを見せつけた。全体的にイマイチだった投手陣でも、内角にきれのいいタマを投げていた嘉勢や、8回のピンチを締めた相木、Cのランドクイストなど好投する投手もいた。因みに試合前に写真を取らせてもらった小川は、ワンポイントで出たものの暴投&四球と、まだまだであった。
ヒデジ監督の見せ場としては、選手交替の際に必ず康雄さんや小川史といったコーチと一緒に出てくること、あとは1度きわどい判定の際、審判に抗議をしようと5歩くらい猛ダッシュを見せたことくらいであった。それでも、試合前に自らバットスイングをするなど、やはり打つことが好きなんだなぁと思わせる一幕もあった。
結局試合は1回にまずいプレーをした中島のサヨナラタイムリーでサーパス勝利。ヒデジサーパスが前期優勝のパンチョカープを破り、後期初勝利を飾った。

試合後はサーパスバスの前で出待ち。山森コーチにタカラ野球カードにサインをいただき、その後頼みもしないのに新しい携帯電話を買ったと言って見せてくれるなど、相変わらずお茶目であった。その間にヒデジ監督以下他の首脳陣がバスに乗ってしまったのは残念ではあったが。

何はともあれやはりサーパスはすばらしい。宿に戻って、サーパスの日程を見ながら夏休みの予定(長期に休む予定はなかった)を組もうとする私であった。

2003年も阪急ブレーブスに戻る